オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

Pray for Japan

スクリーンに映る海を隔てた国の惨状が、あまりにも現実離れしていて、真実だと解りながらもそれを受け入れられない。おもちゃの様に流れていく家や漁船、人の背後にある生活や人生、家族を思うとひたすらやるせない。人一人が殺されて騒がれる日本で何が起こっているのか理解しようとも頭が働かない。 世界中が今、日本を見守っている。世界中がPray for Japanと声を掛け合っている。prayは必ずしもキリスト教的な祈りを意味する言葉ではない。日本にも祈りという文化は遠い昔から存在し、ただ単純に現代人がそれをあまりにも蔑ろにしてきただけだ。同時に、日本人は無宗教だとも簡単には言えない。神道という名のコモンセンスを土台に、仏教、儒教、ヒンドゥー教など様々な宗教が共存する特別な宗教をもつからである。福の象徴として信仰される七福神などはとても良い例である。そしてそれこそが日本にキリスト教の様な一神教が根付かなかった理由である。

「神無月」という月の名の由来にはいくつもの説があるが、一つの説によると、旧暦十月の神迎祭では日本中の神々が出雲大社に集うため、各地から神がいなくなることに所以するという。安政二年のその神無月の頃、江戸をのちに安政の大地震と呼ばれる大型の直下型地震が襲った。この大地震により、四千三百人もの人が命を失い、江戸は大打撃を受けた。江戸の人々はこの地震の原因を、鹿島神宮の要石や剣で統御されていた大ナマズが、武甕槌大神のいない隙に大暴れしたしたからだと噂した。 「揺らぐとも よもや抜けじの要石 鹿島の神のあらんかぎりは」

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これはその地震の後に広まった、神道的な考えに基づく祈りである。この詩は日頃から武甕槌大神がその大ナマズを封じ込めていることに関する感謝の思いを詠う。その思いは、神話や伝承を超えて、気づかぬところで自分を支えてくれている数多くの存在に対する認識と感謝である。

prayがもたらすものは、日本人として改めて日本を考える機会。そして、誰しもが家を持ちえ凍えず、暖かいご飯を食べ、家族皆で笑いあうことができる、そんな平凡な幸せに感謝する機会。何も気にせず電気を使えるのは、どこかで誰かがその大量の電気が作るために働いているから。おいしい水を飲むことができるのは、誰かが水道を整備して、浄水場で働いている人がいるから。電話で話ができるのは、回線がつながり、基地局で働いている人がいるから。遠くでも手紙を送ることができるのは、住所があって、それを届ける人と、整った道路があるから。そしてそんな日本があるのは、過去の人たちが血のにじむような努力をしてきたから。一見平凡な毎日は、本当は幸せであり、そんな幸せは、多くの支えてくれる人の上に成り立っている。

そして同時に決して忘れてはならないことは、世界中のほかの国々に対する感謝である。二〇一〇年五月三〇日に行われた日本創新党キックオフ大会で櫻井よしこはこう指摘した。現在地球上の人口はおよそ七十億人。そしてこの人口を養うための石油や食料などといった海上物流は年間七十億トン。平均すれば一億人に対して一億トンのこの中で、人口一億二千五百万人の我が国がその十億トンを占めている。この十億トンがあって、初めて我が国の国民生活は守られている。その意味を日本人はきちんと理解しなくてはならない。外務省の発表によると、15日の時点で、東日本大震災に対する各国からの支援の申し入れが、過去最大102カ国・地域と14機関に上ったという。

平和ぼけした日本人は、どこかで幸せの意味や感謝する意味を忘れてしまったように感じる。革新などという言葉と共に、大切な文化や精神を疎かにしすぎてきた。先日石原都知事の口にした「天罰」という言葉が、その意味をねじ曲げられてマスコミから総叩きを受けた。しかし恐らく彼の意味した「天罰」とは、欲に駆られ、利己主義に走り始め、伝統や感謝の気持ちを忘れ始めた多くの日本人に対する警告ということだったのであろう。彼は、今回の災害で悔しくも生活や生命を失った多くの人々が、そんな日本人だったとは間違っても言ってはいない。彼らは間違いなく犠牲者だ。だからこそ、その思いを無駄にしないためにも、辛くあるがこれを機と捉え、日本人は本来の日本の姿を取り戻さねばならない。という意味だったのであろう。

震災は理不尽である。罪のない多くの人の命を一瞬にして奪い去る。人間の無力さに絶望するばかりである。辛い。とても辛い。悔し涙が止まらない。しかし、ここで絶望して止まってはいけない。辛いときだからこそ、感謝の気持ちを強く持って、現実に立ち向かって行かなくてはいけない。見えないところで多くの人が頑張っている。本当に心から祈っている人が、懸命に戦い続けている人がいる。日本人は、太古から惟神の道を信じて、幾度と連なる危機をも乗り越えその歴史を積み上げてきた。日本人なら、そして日本人だからこそこの絶望を乗り切ることができると信じている。本当の意味での神国の底力を信じている。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2011年3月19日


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Comments

  1. おひさまようよう 2011年3月20日 - 3:50 PM URL

    こんにちは。先日はありがとうございました。
    あらためてゆっくり文章を読ませていただきました。
    石原発言への総叩きに疑問を持ち、このブログにたどり着いた方は、ほっと一安心できるでしょうね。
    あんなにも世論というもののパワーがすごいと、自分がおかしいんじゃないか、って思ってしまいますもん。少なくとも私は。
    日本にいる人間のひとりとして、
    恥ずかしくない日本を作っていきたいです。

  2. S.T. 2011年3月20日 - 5:03 PM URL

    今回の地震で海外メディアは災害時も略奪をしない日本人の高潔さを賞賛しました。それは日本の長い歴史の中で培われた国民性だと思います。一方で、政府、東電、メディアの対応は大変お粗末な物でした。守るべき伝統と壊すべき因習。国民一人一人が日本について考えなければいけませんね。

  3. Aki 2011年7月30日 - 8:41 PM URL

    お返事大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。
    あの発言があそこまで大きな問題になることに対し、同じ日本人として少し残念でした。
    この発言とは全く異なった面から石原氏の人格等を非難している人たちには、日本人として情けないとさえ感じました。
    自分も、至らない点は数々ありますが、日本人として恥ずかしくない生き方を心がけたいと思っています。
    日本という国が窮地に立ち、一丸となって復興としている最中、自分のことしか考えない数多くの政治家やマスコミに対して、非常に腹の煮えくりかえるような思いを持ちました。日本人でありながら、そんな尊い日本らしさを破壊しようとする勢力が存在することが、悲しくて情けなくて仕方がありません。

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