オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

ボストン・ニューヨーク旅行

冬のフェイエットビルは極端に人気を失う。それもそのはず、人口のおよそ三分の一がアーカンソー大学の学生であるこの町にとって、夏休み、冬休みといっ た長期休暇は彼らの帰省の時期であるからだ。キャンパス内を歩いてみるとその違いははっきりと分かる。忙しそうに行き交う人の影は確かにどこにも見あたら ない。背後でサラサラと音がして振り返ってみると、木の枝に薄く積もった雪の層が風に揺られて散った音だった。昨日の雪がまるで嘘のように、空には雲一つ 見あたらない。少しだけ肌寒くはあるが、柔らかな光が降り注ぎ、少し遅めの小春日和に出会った気分だ。

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キャンパスを少し歩くと、アーカンソー州 の高等教育の象徴として一八七五年に建造されたOld Mainという建物が、鐘楼と時計台をそれぞれ両側にそびえ立たせる。北側の鐘楼が南側の時計台よ りも少しだけ高く作られている理由は、建築当時のアメリカは南北戦争後の再統合期であり、勝者の北軍が政治的に強い権力を握っていた時代だったという事実 に関係するという。
南北戦争は、奴隷解放を支持するリンカーンの大統領就任を発端に、新興工業国として発展しようとする北部と、奴隷制度を維持 し大規模農業で発展しようとする南部とが激しく対立した内戦である。そんな内戦のさなか一八六二年にリンカーンは奴隷解放宣言を発表し、これにより国内の 奴隷解放運動が加速された。

何気なく存在する建造物でも、特に意味のなさそうな場所でも、その背景を知ると途端に世界が広がる気がする。去年の 一二月の終わりから今年の頭まで、ボストンとニューヨークへ旅行をしてきて、そのようなことを幾度も実感した。記憶の彼方に消えてしまう前に、簡単に文章 にしておこうと思う。

ボストン近辺は、アメリカでもとても古い開拓地のひとつである。一七世紀、イギリス国教会に反発した清教徒は、信仰の自由 を求めてメイフラワー号に乗って、ボストンの南東、プリマスの地に渡ってきた。彼ら、ピルグリムファーザーズが移住した一六二一年の冬は大変厳しく、近隣 のインディアン、ワンパノアグ族の助け無しには彼らは生き延びることができなかった。その翌年の秋、豊作を祝って、ピルグリムとインディアンが感謝祭を開 いたのがサンクスギビングの始まりだという。現在のアメリカ人の六人に一人はピルグリムの子孫であると言うから驚きである。

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ボストンの開発は、 その十年後にイングランドから渡って来た清教徒達によって行われ、以来長きに渡りアメリカ最大の街であり続けた。現在、街の中心部の道路には、アメリカ最 古の都市公園、ボストンコモンを出発地点にフリーダムトレイルと呼ばれる全長約4kmに渡る赤いラインが引かれている。そのラインを辿っていくと、この街 の主要な観光地を網羅することができるという面白い発想である。そしてここから見えてくる物は、アメリカの独立までの歴史と、その後の姿である。

「代表無くして課税無し」というスローガンは、この時代、イギリス議会にアメリカから選出された議員はいないにもかかわらず、砂糖税法や印紙税法などアメリカに対する課税を勝手に可決されたことに対する反発から生まれた。

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フリーダムトレイル上に見つかる旧マサチューセッツ集会議事堂のすぐ東側では、イギリス軍により、そんな群衆を鎮圧しようとボストン虐殺と呼ばれる事件が 引き起こされ、アメリカ人の中で反イギリスの感情が急高騰した。また一七七三年、同じくフリーダムトレイル上に見られるオールドサウス集会場ではボストン 茶会事件の決起集会が開かれ、独立派の人々によって東インド会社の船に積んであった茶箱がボストン港に投げ入れられ、二国の対立は決定的な物となった。そ して一七七五年、民兵を束ねたアメリカ軍と、ボストンコモンを出発したイギリス軍によってレキシントン・コンコードの戦いが始まり、アメリカ独立戦争の火 蓋が切られた。

翌年アメリカは独立宣言を採択し、結果として一七八三年に遂に独立を勝ち得た。「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」 という学問のすすめの冒頭は、実はこの独立宣言からの引用である。この独立によってアメリカが目指したものは、すべての人間に対する基本的人権を認める国 家であった。ただし、ここでいう「全ての人間」に、黒人やインディアンが含まれていなかったことがアメリカが次に直面しなければならない問題であった。こ の独立の時点でアメリカは75万人という数の奴隷を抱え込んでいたからだ。フリーダムトレイル上にある、パークストリート教会では、初めての奴隷制度反対 演説が行われたことで有名だという。

ボストンからバスで西に四時間ほど、アメリカ最大の都市ニューヨークに訪れた際に、ハーレム・ゴスペル・ク ワイアという世界的に有名なゴスペルグループの公演を見る機会を得た。ゴスペルの歴史を見てみると、それはアメリカに奴隷としてかり出された黒人の間で、 神に救いを求める歌として生まれたという。人権を与えられない彼らは、その苦しみや辛さを恨みではなく、歌に変えて歌い続けた。それ故に彼らの本気で歌う 姿には心を打たれるのだ。最後にウィ・アー・ザ・ワールドを熱唱する彼らの姿が強く目に焼き付いている。

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二〇〇九年には黒人初の大統領が選出され、今年はキング牧師の祝日が制定されて二五年の節目の年だという。

しかし忘れてはいけないことは、何事もバランスが大切なことである。近年、差別問題を通り越して、逆差別などという現象が問題になりつつある。例えば二〇 〇九年、コネティカット州では、白人に対する逆差別に関する最高裁判決が下された。昇進試験の結果、黒人受験者が一人も昇進できなくなったのだが、これを 人種差別だと訴えられることを懸念した市当局がその試験結果を破棄し、白人受験者らからも昇進の機会を逃したという事例に対してである。

この記 事を読んで、アメリカに来たばかりの頃、軽く冗談で言ったことに対して「あなたは人種差別主義者なの?」と聞かれて驚いたことを思い出す。今考えてみる と、そんな疑問を投げかけてきた彼女は、差別撤廃に敏感になりすぎてどこか心の余裕を失ってしまっていたように思えてならない。ステレオタイピングという ものは人間が物事を効率的に認識することができるように発達した能力であって、過度にそれを否定することは、人種差別の解決策には決してなり得ないだろ う。

ブロードウェイで見た、アベニューQというミュージカルの一シーンがそんな的を得ていたように感じた。日本人、ユダヤ人、ゲイ、少数民族など色々な登場人物が集まるところで彼らはこんな歌を歌っていた。

「誰もが少しは人種差別しちゃう。たまにはね。犯罪になるほどじゃないけど、人種を全く気にしない人なんているはずない。誰でも人種で人を判断することはあるんだよ。」

日本人がRとLをうまく使い分けられないのも事実であり、ブラックジョークを聞いて面白いのも感じるのも自然であるし、ユダヤ人が金にがめついイメージ だって誰でも持ってしまっているのだから仕方がない。戦争問題にしても人権問題にしても、大切なことは、誰もが持ちうるそんな偏見等を全否定することでは なく、それを理解した上でどうやって個々を尊重していくかなのであろう。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2011年1月12日


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