オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

人生を24時間でたとえると朝の9時。まだまだこれから。

「最後の博論提出までの1年間のカウントダウンが始まった」と書いてから、既に1年と2ヶ月が経つ。僕はまた、時計の針との競争に負けてしまったのだ。やつはこっちの事情など露知らず、或いは知ったとてペースを乱すはずなどなく、当初の予定通り、きっかり1年の時を刻みゴールにたどり着いた。

中々思い通りにことは運ばない。

今年の1月中旬、学部長であり僕の指導教官の一人でもあったグリン・ハンフリーズ教授が急死した。書き終えたばかりの論文の草稿を彼に送付したほんの数日後のことであった。彼はまだ61と若く、毎日自転車で通勤するような健康的な人であったから、彼が突然亡くなったなどそんな話を信じられるはずもなく、その話を人づてに聞いた僕は何かの悪い冗談だと思った。そしてどれだけそれが本当だと説明されても真に受けなかった。しかし間もなく学校から同様のことを告げる正式な連絡があり、それは逃れられぬ現実となった。彼は名誉客員教授を務める香港大学にて講演を行った後、イギリス帰国を目前に突如この世を去ったのだという。

命とは不思議なものである。

僕は夜、布団に入っても寝付けない時、よく、その日一日のことを思い返してみる。会った人や話したこと、やったことや考えたことを思い起こし、そして失敗したことや恥をかいたこと、今日やり残したことについて考える。気づけばまどろみの中にいて、脈略のない記憶を辿りながら、これまでのことを後悔したり、これからのことを考えて不安になったり、だけど明日はもう少し頑張ろうと、そんな風に思いを巡らせているうちに眠りに落ちる。

「今日寝れば、明日になる。」

そう信じて疑うことなく、一日を終える。

しかし、そんな疑いようのない日々の連続も、突然途切れることがあるんだ、と、身近な人の死で改めて気付かされた。

先日、8年ぶりに「茨の木」という小説を読み返した。これは父の残したヴァイオリンのルーツを知る為、イギリスを旅する男の物語。ロンドン、湖水地方、スコットランド。ベーカーストリートにワーズワースにポター。イギリスがこの一冊に詰まっている。そしてその旅を通じて、男は生きることの意味について思いを馳せる。

人は生きて、いつかきっと死ぬ。人生とは、おびただしい死と向かい合うことだ。そこにこそ、自分が今生きていることへの答えがある。

では、生きるということは、今生きている、という事実だけをいうのだろうか。生きて死ぬことの先にあるものは、誰かの記憶の中に生き続けるということではないのか。そう思い至って安堵した。天国は、自分を覚えていてくれる誰かの記憶の中にあるのだ。

茨の木 – さだまさし

彼のことを忘れられるわけなど無い。

僕のオックスフォードでの博士課程において、ハンフリーズ教授は欠かすことの出来ない存在であった。そもそも彼は、5年前の入試面接の際に僕を担当した面接官の一人であった。事前に学部長である彼については特に念入りに調べ、彼の講演動画も見て面接に備えたことを思い出す。そして「遥かなるオックスフォード」で書いたように、彼は僕の二人目の指導教官であった。

僕の二人の指導教官は、全く対極の研究者であった。「オックスフォードの入試から一年か。」で、入試の結果を伝えるためにウイスキーをもってホテルまでやってきた指導教官のサイモンが自信家で感情的でロマンチストであるのに対して、ハンフリーズ教授は謙虚で穏やかでリアリストであった。3人でミーティングをすると、一気にまくし立てるサイモンに、それをなだめそして解決策を提案をするハンフリーズ教授、というのがいつもの構図であった。

あの時のミーティングでもそうであった。自分達の研究の価値を周りがなかなか理解しないことに憤慨するサイモンに、「それならば僕達の学生のAkihiroの今書いている論文を、より権威のある学術誌に投稿してみよう。それだけ自信があるのなら当然受理されるはずであろう。」と発破をかけたのはハンフリーズ教授であった。

彼はサイモンのことをよく理解していた。「レビューがいつまでたっても終わらない学術誌に投稿するのなんて馬鹿馬鹿しい。サイエンス界への貢献を考えるのであれば、比較的プロセスの早いオープンアクセス誌に投稿して研究にもっと時間を割くべきだ。」と言って決して考えを譲ることのなかった彼が、このハンフリーズ教授の一言で落ちた。そして、「もちろん受理されるに決まっているだろう。君もそう思うだろ、Akihiro」と突然サイモンに話を振られて、「い・・If you say so..」と、僕もまんまと巻き込まれてしまったのだった。

そんな経緯で、僕は博士課程2年目の時に、僕の博士課程における最初の論文の草稿をPsychological Reviewという学術誌に投稿することになった。1894年に創刊され100年以上の歴史を持つこの学術誌は、実験心理学の分野においては権威のあるトップジャーナルのひとつである。公表されているRejection rateは85%と、この学術誌に論文を掲載するのは中々容易なことではない。

List of Empirical Journal in the field via Journal Information (the vision and memory lab)

List of Empirical Journal in the field via Journal Information (the vision
and memory lab)

 

結論として、実際にそれは容易ではなかった。その論文は、2度の”Major revision”に答える形で大量の追加実験とその結果に関する加筆修正が加えられた末に、「今季の編集委員会(editorial board)はもう解散するからと改めて新規投稿してください」と再投稿を求められた。そしてその結果、新しいレビュワー達に初回の査読で”Reject”され、驚くほど呆気なくこの一連のプロセスは幕を閉じた。気づけば既に一年以上の時がたっていた。

端から受理されるなどとは思ってもいなかったけれど、やはりこの結果には堪えた。博士課程の限られた時間を費やして、出来上がったのは100ページ以上にも膨れ上がった怪物草稿だけ。僕のラボでは、博士課程3年生にもなって一本も論文を通していない学生は珍しい。そして何よりも、すべてがトントン拍子だった学部時代に比べて、オックスフォードに進学してからの自分には誇れるものは何一つなかった。どれだけ時間をかけても努力をしても結果はついてこなかった。挙げ句の果てには、焦って近道をしようと道を逸れて、気づけば迷子になってしまっていた。もうあとの人生は、落ちていくだけなのかもしれない、と、本気で考え始めていた。

そんなすっかり意気消沈しきった僕を励ましてくれたのは、ハンフリーズ教授であった。

“Its disappointing to get this verdict, but this is life.”

彼の言葉には重みがあった。

博士課程3年目、次に仕上げた論文で再度Psychological Reviewに挑戦することを、彼は僕に提案した。僕自身は前回の苦い経験から気が進まなかったけれど、彼に背中を押されて、そして彼を信じて再挑戦したのであった。

 

ーかくして先日、その論文がPsychological Reviewに正式に受理され、11月号に掲載された。

Eguchi, A., Humphreys, G. W., & Stringer, S. M. (2016). The visually guided development of facial representations in the primate ventral visual pathway: A computer modeling study. Psychological Review, 123(6), 696–739. https://doi.org/10.1037/rev0000042

彼は今、天国で何を思うのだろうか。

“This is life”と彼は言ったけれど、人生は本当にわからない。Psychological Reviewの掲載とほぼ時を同じくして、査読中であった他の3本の論文もまた、異なる学術誌に受理された。これでやっと、少しだけ肩の荷が下りた。

きっと人生とはそんなことの繰り返しなのだろう。

以前に”CV OF FAILURES”という、プリンストン大学の助教授による「失敗の履歴書」が一部で話題になった。これはその冒頭の意訳。

私が挑戦したことのほとんど全ては、失敗に終わっている。

成功ばかりが皆の注目を集める一方で、そういった失敗というものは、大抵の場合、日の目を浴びることはない。

もしかしたら君たちの何人かは、私のことを、全てが思い通りになってきた人間だと考えるかもしれない。

そしてだからこそ、君たちが何か失敗をした時、その原因は全部自分のせいだと思い込み、一人で抱え込もうとするのだろう。

世界はもっとずっと曖昧で、書類の審査なんて博打のようなもの。選考委員の気まぐれで落ちることだってある。しかし、君たちはそんなことを知る由もなく、自分自身を責めるのだろう。

この「失敗の履歴書」執筆の背景には、今まであまり語ることのなかった私の経歴を通じて皆に何か新しい視点を持ってもらえたら、という思いがある。…

…この履歴書は、おそらく私の全てを網羅した完全なものではない。

私の記憶に基いて書き上げたため、きっと数多くのことが省略されていていることと思う。

だから、もしこのリストが君のものよりも短いとすれば、それはきっと君のほうが僕よりも良い記憶力を持っているからなのだろう。

あるいはきっとこういうことだ。 ーそれは君のほうが僕よりも、ずっと多くの挑戦をしてきたから、ということなのであろう。

(CV of failures: Princeton professor publishes résumé of his career lows)

よっぽど運のいい人かよっぽど器用な人でない限り、あるいはそんな人であったとしてもきっと、皆、同じ道を歩んできている。どんなに輝かしい功績を持っている人でも、きっと、そこに辿り着くまでには、数え切れないほどの不運と苦難の壁にぶち当たっている。挫折を経験して、今まで必死でやってきた自分が滑稽に思えてきて、笑ってるはずなのに涙が止まらなくなる様なことも幾度となくあったはずだ。しかし、それでもその度に彼らは立ち上がり、前を向いて歩んできたのであろう。

自分なんてまだまだ。そしてこれは、自分が正しいと信じて選んだ道。簡単に負けてなんていられない。

 

僕の父は、僕が「高専に行きたい。」と言い出した日のことをよく懐かしそうに思い返して笑う。この出来事は彼の中で「事件」であった。彼は当時、僕は当然地元の進学校に進んで、そしていい大学に進み、普通の理想とされる人生を歩んでいくものと信じていた。

高校受験を考える時期になって、「僕にはやりたいことがある。」と、ずっと言えなかった心情を母に吐露した。母は「本当にそう思うのならお父さんとしっかりと話して御覧なさい。あなたの人生なのよ。」と僕を鼓舞した。そして、反抗期のなかった自分にとって初めての我侭を父にぶつけた。彼にしてみたら青天の霹靂だ。難色を示す父に、それでも僕は涙ながらに自分の胸の内を明かした。自分は「夢を追いたい」と、この時初めてはっきりと口にしたのであった。しかし彼は首を縦に振らなかった。

それからしばらく、彼と顔を合わせることが気まずかった。

数日たったある日の夜、自分の部屋に篭ってふてくされていた僕のもとに、父から一通のメールが転送されてきた。「高専」という文字が目に入り読んでみると、それは父と父の知り合いとの間のメールのやり取りであった。「高専」とは一体どういう機関なのか。高専を選ぶメリットとデメリット、その後の進路や就職先。そんな色々な質問を父は、その知り合いにぶつけていた。そのメールを読み終わらぬ内に、更に数通のメールが届いた。それらも全部、父の違う知り合い、或いは知り合いの知り合いとの間のメールのやり取りであった。父はあの口論の後、「高専」というよくわからない機関のことをあらゆる伝手をたどって聞いて周り、理解しようと努めていたのだった。

そして最後に一通、こんなメールが送られてきた。

晃浩へ

自分の信ずる道へまっすぐ進め。
迷ったら立ち止まって自分の納得のいく道を考えろ。
最後の判断は自分でやればいい。
ただし後悔するような惨めな判断をしてはならない。

そして基本は正攻法でいけ。卑怯な手はいつかこける。
自分に恥じない王道をいけということ。
お父さんもよく、死んだ親父から言われた。
「男に惚れられるスカッと気持ちのいい男らしい生き方をしろ!」って。
できているかどうかは難しいけど努力はしているつもり。
今のところ自分の人生に悔いはなく、理想の嫁さんをもらってすばらしい子供たちに恵まれ、皆、健康で、仕事も遊びも楽しいし、いうことなし。

君達も皆、そんな生き方をしてほしい。

但し人生には楽しいことばかりではない。辛い時も苦しい時もある。
だけどそれを乗り越えれば嬉しさと共に、また次の夢が見えてくるもの。
努力はしんどいけどその努力の分だけあとでおみやげがくると信じていい。
一度や二度の失敗があってもめげる必要はない。

人生は長い長いもので、努力が試されるチャンスは何度も来る。
ここぞというチャンスを活かせる実力を蓄えておくことこそ大切。

但し信長のごとく情報は貪欲に幅広く吸収し、勝負は冒険をせず、用意周到に事前準備し、勝てるところに出て行く姿勢も大事。
要はイチカバチカの勝負に出るのは具の骨頂で、事前の準備をどこまでできるかが勝つということ。

お父さんは晃浩の実力を信じているので、今のまま自信をもってつき進め!
いつも、そしていつまでも応援している!

                      お父さんより
2003年6月15日(日) 23時13分

 

1956年-祖父のアメリカでの足あと」で書いた父方の祖父、「天国の祖父に」で書いた母方の祖父、「大好きな先生」で書いた学部時代の恩師、挙げたらきりのないほどの多くの人々の想いによって僕は形作られた。懸命に生き抜くことは僕が生きる責任だ。こんなところで躓いてなどいられない。

 

先日、寝付けなくて読んでいたマンガでこんな考え方に出会った。

自分の年齢を3で割ってみな。

?・・・8ですけど。

じゃ、8時なわけよ、朝のね。人生を24時間にたとえるとさ。まだまだこれからでないかい?

俺はまだ本気出してないだけ – 青野春秋

人生を24時間で例えると、僕の場合は朝の9時。

ちょっと寝坊してしまったけど、そろそろ起きる時間。

夢ならもう沢山見た。今からはそれらを順番に叶えるために懸命に生きていかなくては。

そして生きている限りは、自分を形作った様々な人達の想いを継いでいかなくては。

「今日寝れば、明日になる。」

もしかしたら、それは必ずしも間違いではないのかもしれない。

彼らの明日であった今日を僕は懸命に生きることができる。そして僕の明日がきっと誰かの「今日」に繋がることを信じて、そんな風に必死に今日一日を生き抜きたいもの。

まだまだ、これから。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2016年12月9日


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Comments

  1. @hogsford 2016年12月9日 - 2:05 PM URL

    久しぶりにブログ更新しました。最近のこと、最近思っていることなど、少し長めですが、何かを頑張っている人のエールになれば、と思って書きました(*^^*)
    「人生を24時間で例えると朝の9時。まだまだこれから。」 https://t.co/lYcBCpVPgy @hogsford

  2. @wataseakira 2017年2月6日 - 12:46 AM URL

    最近、CMSのトラブルが元でTwitterで繋がることのできた方のブログを、Platypusの湯たんぽ抱えながら読んだ。読み応えがスゴイ。そして親目線で読んでいる自分も少しだけいてちょっと驚いた。
    https://t.co/ApTOjR1FCX

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