オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

「JAPAN IN COLOUR」外国人カメラマンが見た戦前の日本

先日、「1941年のオックスフォード大学と1935年の東京」という記事を書いた流れで、昔の日本を映す動画をいくつか見ていました。

1941年のオックスフォード大学と1935年の東京
Youtubeで1941年に作られたオックスフォード大学のプロモーションビデオを見つけたので紹介。 そしてこっちは今のオックスフォー...

そしてその時に、”JAPAN IN COLOUR“という今回紹介するドキュメンタリーフィルムを発見。1時間もあったけれどその綺麗さに時間を忘れてすっかり見入ってしまったのでそれに関連して。

このドキュメンタリーは、戦前に日本にやってきたフランス人のアルベール・カーンが撮った数多くの貴重なカラー写真、カラーフィルムに基づく。

Albert_Kahn_(1860-1940)_US
(image via Wikipedia)

彼が日本にやってきた1908年当時、「長州五傑がUCLに密航留学してから150年」で紹介した歴史からも容易に想像できるように、日本とイギリスの関係はとても良好なものであった。明治政府の最初の大きな課題であった不平等条約の撤廃は井上馨が尽力し、それを第二次伊藤内閣の下で引き継いだ陸奥宗光のイギリスとの交渉の末ついに叶った。当時アメリカもドイツもその交渉には見向きもしなかったが、唯一イギリスだけはロシアの南下を懸念していたのだ。同時に明治政府設立以来日本が精力的に進めた海軍力の強化をしっかりと認識していたため、日本に対する治外法権の撤廃と関税自主権の一部回復を認め、勢いに乗った日本は日清戦争へと突入していった。

長州五傑がUCLに密航留学してから150年
  今年は伊藤博文ら長州五傑が渡英してから150周年という節目の年だという。イギリス国内ではユニヴァーシティ・カレッジ・ロンド...

ところで余談になるがこの日清戦争、実は歴史教科書で教えられるほど簡単な勝利だったわけではない。結果だけを見れば圧倒的な勝利であったように思えるが、全くそんなことはない。彼らが「眠れる獅子」と恐れられたのにはそれなりの理由がある。そもそも日本と清の間には当時到底埋められない国力の差があり、この戦争に投入された戦力だけを見ても日本は清の僅か1/3、武器の質も桁違いであった。それにもかかわらず奇跡的に大勝利を収めることが出来た要因は、戊辰戦争を生き延びた数多くの精鋭達優れた戦略家達、本気で西洋に追いつくために「攘夷」のプライドを捨てて数多くの優秀な軍人を各国から呼び寄せて行った徹底的な教育、そして清国の大国としての油断にあった。僕がこのことを知ったきっかけは恥ずかしながら「日露戦争物語」という日清戦争を詳しく描きすぎて日露戦争を描く前に打ち切りになった漫画であったが、これは後に「坂の上の雲」を読んだ際にその世界観をよりいっそう広げてくれた。単純にその時代の流れを楽しみながら知りたいという人にはお薦めしたい。それはそうと、この日清戦争の勝利の年号を「清に勝ち 一躍要人(1894) 日本人」と幼い頃に覚えさせられたが、まさにその通りこれを境に日本の国際的な注目度が急激に上がり始めた。結果としてロシアとの対立も避けられぬものとなり、1902年に日英同盟が締結されている。

bf2684792b2316a85cef257dcbe4df87
JAPANESE FAMILY PORTRAIT 1 ALBERT KAHN MUSEUM, PARIS.

ここで話は元に戻るが、当時のフランスはロシアと同盟関係にあり、殆どのフランスの企業は、ロシアと対立するイギリスと同盟を結んだ日本からは距離を置いていた。その実情をフランスで銀行を経営していたアルベール・カーンは好機と捉え、その未開の市場に進出してきたのだという。しかし、そこで目にした日本という国に彼はすっかり心を奪われてしまい、それは帰国してから自身で本格的な日本庭園を作ったほどでもあるという。彼の部下が撮った数多くの写真やフィルムは、伝統と近代化のまさに狭間に存在する日本の姿を鮮明に捉えている。そこには急速に西洋化されていく日本で、消えゆく貴重な文化や人々の生き様を美しい姿が映し出される。その中では、今は既になき美しき日本の面影が生きている。人々の幸せそうな笑顔が、心に染みる。

DSC_0421-600x401
JAPANESE FAMILY PORTRAIT 1 ALBERT KAHN MUSEUM, PARIS.

同じ時代、日本を訪れたラフカディオ・ハーンもその日本の魅力の虜となった1人である。「耳なし芳一」などを書いたことで有名な小泉八雲は、彼の日本名である。前にもでも紹介したことがあるが、そんな彼が明治40年に、この消えゆく日本の美しき情景をこう記した「仏像の微笑み」というエッセイを、さだまさしさんが要約したものを紹介して今日は終わろうと思う。

日本人は、これだけすばらしい文化と伝統を持っていながら、ヨーロッパに追いつけ追い越そうとするそのあまりに欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。器用な日本人は近い将来欧米を遙かにしのぐ製品を生み出すようになるだろう。だが、その時にはもう日本人は日本人ではなく、日本人によく似た西洋人になってしまっていることだろう。そして、そうなった時に日本人ははじめて、かつて自分の町内の角に必ず立っていた石仏の何とも言えないかすかな微笑みに気付くだろう。実はその微笑みは、かつての彼ら自身の微笑みなのだ。

伝統的な美しい景色や文化を、いつまでも大切にしたいものですね。

カンザスシティにて文化を考える
暑さ寒さも彼岸までと言うけれども、三月も暮れのこの時期にここアーカンソーは大雪に見舞われた。それが春休み一日目の出来事であった...
動画宗教文化日本歴史芸術ヨーロッパ留学ブログ(ブログ村)

著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

follow on facebook follow on line
follow via RSS follow us in feedly Subscribe with Live Dwango Reader

Aki • 2013年4月22日


Previous Post

Next Post

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *

*