オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

日記宣言

物心がついた頃から日記というものを書き続けているが、その頃と今とでは世界は大きく変わった。

The-Austerity-Diaries

初めは絵につたない文章が添えられただけのものだったものが、今では文字ばかりに変わった。そして何よりも、たかだか数年の時間の流れで、誰もがコンピュータで日記を書き、インターネットでそれを共有することが普通になった。それに伴って日記は単なる自分の生活の記録ではなく、コミュニケーションのツールとしての新しい意味を持つようになった。

しかし面白いことに、その一見新しく思えるこの日記の位置づけは、実は自分の中では幼い頃から変わっていないのだ。幼い頃、絵日記を書く度に、親の元に駆け寄って、それを自慢げに説明した。小学生の頃は、日記帳にいろんな出来事を書いて、夜遅く帰ってくる父親が書き込んでくれる返事を楽しみにした。中学校に入ると、生活の記録という名で先生との交換日記が始まった。そして、そのうちインターネットで文章を書くことの楽しみを覚えた。知らない人がいろんなコメントを残してくれるのがとても嬉しかった。はてなダイアリーで毎日書かさず日記を更新していた日々を懐かしく思い返す。そして気づけばミクシィなどのソーシャルネットワーキングサービスの登場で、ネットで日記を書くのが当たり前とも言える時代が到来した。そこで懐かしい友達と再会し、彼らの今を知り、自分の今を伝える道具として、日記は大きな役割を果たすようになった。しかし、巷でもよく「ミクシィ疲れ」などという言葉がささやかれるように、ある時からその位置づけに対して多くの疑問を感じるようになった。多くの人の目を気にするがために、言葉が自由を失った。確かに日記は自分から情報を発信するという意味でコミュニケーションの強力なツールの一つになったかもしれない。しかしそれと同時に、親と子あるいは教師と生徒などといった一対一の時にはあったその本質が失われたように思われる。

「目を見て話しなさい。」そう教えられて育った。そして、これこそがその本質だと思う。人と話すとき、その人の反応を楽しむ。そして、その反応に応じて違った方向に話は弾む。目と目を合わせて笑い合うコミュニケーションでも、全体を意識したスピーチでも、それがとても大切な事は明白だ。ただ、ここ長らくミクシィで綴ってきた日記は、それらが中途半端に混じった不完全なコミュニケーションだったからこそ自分の中で疑問が生まれたのだと思う。

個人的に、日本語という言語はとてもきれいな言語だと思う。海外で生活をするようになって、さらにその思いは強くなった。そんな言葉を使いこなせるようになりたいと深く思うようになった。どうせならミクシィという自分にとっては閉鎖的であった空間から出て、日記という形のコミュニケーションを通じて、自分も大きく成長させていきたいと思う。


著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2010年3月16日


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Comments

  1. Megumi 2010年3月17日 - 1:24 PM URL

    UAのメグミです!
    mixiが時々閉鎖的に感じるのは同感です。個人的なことが友達にしか見られないのが良いときもあるし、かえって窮屈に感じるときもある。
    あと、美しい国日本!ここに来てますますそう思うようになった。もっと世界の国に胸を張って日本大好き!って言えたらいいね!政治家も…。

  2. Aki 2010年3月17日 - 1:43 PM URL

    コメントありがと!
    mixiにはmixiにしかできない交流があるけど、色々周りを意識しているうちにすこし窮屈に感じることもあるよね。
    そうだよね。みんな日本を出て、改めて日本を意識するようになるんだろうね。
    これもなんだか似てる気がする。
    せっかく良いところいっぱいあるのに、海外ばかりを意識するがために少し窮屈になっちゃってる。日本は日本らしさを失ってる気がする。
    何でも中庸が大切だよね。
    受け入れつつも守りつつ成長していかなくちゃね!

  3. S.T. 2010年3月17日 - 5:24 PM URL

    匿名希望。名乗るほどの者ではありませんので
    コミュニケーションを話題にするならば、携帯メールやツィッター上での口語体崩れの文章コミュニケーションが、一番問題だと思う。若者の語彙の低下と文法の無視に拍車をかけている気がします。端的に表すと
    「”やばい”と言う言葉を使うのは全然やばい」
    女子高生の会話は、やばいとかわいいで成り立つ気がする今日この頃

  4. YU☆YA 2010年3月18日 - 7:05 AM URL

    言葉自体はただのツールであり、時代に合わせて変化するものだけど、やはり、コミュニケーション自体の本質が変わるのはどうだろうと考えさせられるね~。コミュニケーションは自己と他人が共存していくためには不可欠なもんだからさ。
    mixiみたいなネット上のコミュニケーションツールってのは、便利・お手軽がうりで、自己の存在をうったえるにはもってこいだけどさ、読み手次第でコミュニケーションが消滅しうるところが残念。まぁ、直接話してても、「聞いてませんでした」なんてなったら成立しないんだけど。。。笑
    そんな欠点を持ちながら、ブログというツールに載せられたakiのメッセージ(考え)は少なくても、俺のところに届いたのも真実だぜ☆
    いや~コミュニケーションって無くては生きていけなくて、難しくて、たまにメンドクサイ。奇妙な能力を人間は持ったものだね。笑

  5. Aki 2010年3月18日 - 1:38 PM URL

    >>S.Tさん
    確かに、言葉の簡略化でだんだんと表現力も失われてきていますよね。
    日本の伝統色465色も、時代の流れで忘れ去られつつありますしね。
    頭をろくに使わないでも会話は成り立ってしまうものですから怖いですね。
    一人一人が普段から気をつけていかなくてはこれはどうしようもない問題なんでしょうね。
    >>YU☆YAさん
    本当にそうだよね。人の目を気にして書いた文章を、その人が読むかどうかわからないし、でも別の読んだ人がまた違って受け止めたり、どう伝わっていくかはその時次第。それも確かに一つのコミュニケーションなんだけどね笑
    ほんと、言葉は不思議。色んな種類の言葉があって、色んな方法で伝えられて、色んな方法で残すことができる。
    人間って変だなー。笑

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