オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

【読書記録】留学・爾もまた (遠藤周作)

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家も路も教会も石の集積だし、その石の一つ一つの歴史の重みがある…。長い長い間の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。
この国に来る日本人には三種類ある…。この石畳の重さを無視する奴とその重みを小器用に猿まねする者と、それから、そんな器用さが無いために、僕みたいに轟沈してしまう人間と・・・
僕ら留学生はすぐに長い世紀に渡るヨーロッパの大河の中に立たされてしまうんだ。僕は多くの日本人留学生のように、河の一部分だけをこそ泥のように盗んでそれを自分の才能で模倣する建築家にはなりたくなかっただけなんです。河そのものの本質と日本人の自分とを対決させなければ、この国に来た意味がなくなってしまうと思ったんだ。田中さん、あんたはどうします。河を無視して帰国しますか。あんたも河を無視しないで、毎日、この国で生活すると言いたいんでしょう。でもそりゃあ辛い留学生活だよ。さっき、あんたが思わず口に出したあの息苦しい重さに、今日も、明日も耐えなくちゃならないんだ。挙句の果てが、僕のように肺病になる。河に入るためには、留学生は何かを支払わねばならないんだ。
..何もかもが食い違ったのだ。怠けたんじゃない。それなのに俺の鶴橋は大きな石にぶつかり折れてしまった。

文化と歴史と人の間で迷い、不器用にも真剣に生きようとする留学生達。その理不尽と矛盾とそこにある葛藤をここまで的確に描いた小説を他に知らない。憧れを抱いて海を渡り、一流になる事を意気込んで必死にもがいて、やがて目の輝きを失っていった挫折組。彼らの目に、「楽しみながら、研究も順調に進み、帰国後の生き方と留学とがきれいに結び合わされる」そうやって要領よく世を渡っていく器用な人間が醜く映る。そして彼らは、自分にはそれができなかったのではない、自分はあえてそうしなかったのだとそんな人々を軽蔑する。しかし一流になり損ねた者達のその叫びは、所詮は負け犬の遠吠え、嫉妬と自己弁護として虚しく響くだけ。「選ぶということが全てを決定するのではない。人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだ者によって苦しめられたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。」人生における留学という選択肢。その道の末にあるものが希望か絶望かは、選んだ道をどう生きるかで決定される。

 

この本を参照しているブログ記事

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2015年3月14日


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