遥かなるオックスフォード
アメリカでの学部時代もそうであったが、イギリスにおいても自己紹介の際に専攻や研究に言及することは至極一般的なことである様だ。大学院にもなるとそんな専攻も細分化され、小さな出会いを通じて学ぶ新しい世界に幾度と無く心を弾ませる。そんな未知の分野の概要を目を輝かせて語る誰もがさながら立派な専門家の如くである。そんな彼らに感心し聞き入りながらも、しかし同時にやがて回ってくる自分の番を身構えて拍動が段々と早くなってゆく。
「計算神経科学を勉強している。」と言うと、大抵の人はその聞きなれない言葉に「コンピューテーショナル、ニューロサイエンス。」とゆっくり確かめるように復唱してみせる。そういう場合は、今度は自分が専門家になる番である。「脳の機能をモデル化して、コンピュータを使ってその妥当性を調べたりする研究」であると、もう少し具体的な説明を加えてみる。するとそこからは、聞き手の専門によって様々な方向に話題は傾き始める。生物物理の人であればホジキン・ハックスレーモデルに代表される様なニューロンの活動電位モデルの話に展開され、神経科学の人であれば霊長類の単一細胞記録や人間のfMRI実験などの議論になる。一方でコンピュータサイエンスの人であればニューラルネットなどの機械学習の面に焦点が当てられるし、電気工学の人にとってみるとニューロンを模倣するチップの様なハードウェアに興味があったりする。そして彼らは、当然自分がそれらの分野に造詣が深いものと決めてかかり様々な難解な疑問を容赦なくぶつけてくる。こうなってくると「さながら専門家の如く」振る舞うことは、なかなかの重荷となる。
必ずといっていいほどに聞かれる質問に、「コンピュータが脳を完全に再現できる日は来るのか。」と言うものがある。しかしこの質問には、何度聞かれても言葉を詰まらせてしまう。多くの研究者達にとって永遠のテーマであるこの疑問に、この分野に入って僅か2ヶ月足らずの自分が結論を下すことはあまりにも無謀かつおこがましい事であると思わざるをえないためだ。だからいつも正直に「それは僕にとっては難しい質問だ。」と答える。そして、決まってこう続ける。「まだ誰も脳の全貌を知り得ていない。脳が何たるかを定義さえできていない今で結論を出すことは時期尚早ではないかと思う。ただ視覚経路を通じた物体認識などの機能のみに焦点を絞ってこの話をするのであれば、その日は近く来るであろうと僕なら言う。」これが今の時点では精一杯の答えである。しかしそう口にするたびに、自分が足を踏み入れたこの分野は、実は徐々に深みに嵌っていく泥沼であったかもしれないと心の奥底で不安も揺らめく。
オックスフォードに来てすぐの頃、ある神経科学者に「僕達はね、鳥が空を翔ぶ仕組みを解明したいんだよ。君たちが飛行機を作って見せてくれても、“それだから”鳥は空を飛べるんだと説明できないだろう。」と指摘され戸惑いを隠しきれなかった。それは「脳の特定の機能に対して生理学的なデータに基づくモデルを仮定し、コンピュータシミュレーションを通じてそのモデルの生物学的妥当性を示せたとして、それは脳の機能を説明する何の証拠にもなり得ない。」という尤もな側面を示唆する喩えであった。この指摘は自分の中で、「何をしたいか」という研究願望と「何故したいか」という研究意義とに改めて向き合う機会を与えた。この問題には相当頭を抱え込み胃も痛めたが、結局そんな足元のぬかるみを気に病む自分を救い出したのは、海を隔てた日本にいる恋人の一言であった。「本当に“飛行機”を作りたいの。」と彼女は聞いた。「飛行機じゃなくて、空を飛べる精巧な鳥の模型を作りたいんじゃないの。」と続け、「確かに精巧な鳥のモデルが空を飛んだところで、本当の鳥が空をとぶ仕組みを証明はできないけど、そこから学べることはたくさんあると私は思う。」と彼女の意見を聞かせてくれた。まさにその通りであった。冷静に考えてみれば単純なもので、途端に足が軽くなった。
近年の自分には、情動に飲まれ視野が極端に狭まるきらいがある。母親のくしゃみで大泣きするような繊細な情動を持って生まれ、小学校の頃もよく悔し泣きをし、どんな下手な演技にでも感情移入をした。そんな顕著な情動は、アメリカでの四年間において、自分を奮い立たせて信念を堅持しそれを達成に向け突き進む為には非常に都合がよかった。しかしそうやって多用しているうちに、気づけばそれが癖にさえなってしまったのであろう。気をつけねばならぬことは、今後は特に、広い視野を持って、できる限り冷静になって一歩一歩足元を確認ながら進んでいくことが不可欠であるということだ。そんな思いもあって、計算神経科学を専門とする現在の指導教官に加え、神経心理学を専門とし学部長でもある教授に共同指導教官になってもらうことを掛け合うことにした。昨日無事に、今学期の研究成果と今後の展望に関して彼の前でプレゼンテーションを行うことによってその承諾を得ることができた。幸先の良い滑り出しであるが、当然ながらこれからが正念場である。
先日、日本学術振興会理事長の安西祐一郎氏のブログで言及されていた「遥かなるケンブリッジ」という本を取り寄せ、本日読了した。これはアメリカの田舎の大学で助教授として過ごした著者藤原正彦氏の、イギリスでの一年間の体験を綴ったエッセイである。全く立場は違えど、アメリカからイギリスへとやってきた自分の様々な思いはそんな彼のそれと容易に重なりあい、自身をぎりぎりの心境に追い詰めてまでも必死に闘った彼の姿に深い感動を覚えた。彼はその闘いに執着した、あるいはせざるを得なかったその日々を思い返してこう記す。
「世界に名だたる数学教室の、天才秀才を相手に、乏しい能力を全開にして孤軍奮闘していたからだった。無言のうちにもひたひたと押し寄せる重量感に押しまくられながら、必死に頑張っていたからだった。幾度と無く劣等感に潰されそうになり、やっとの思いで、どうにか同じ回数だけ盛り返していた、というのが実情であった。ケンブリッジ勢の圧倒的な力量に対しては、満身を烈々たる気迫で満たし、阿修羅のごとく研究に励むことだけが、生き延びる唯一の方法だった。新しい定理を発見し証明することだけが、怒涛の波を押し返す力だった。」
世界中で、今も日本を背負って死にものぐるいで闘っている人達がいる。「天才とは天才的努力のことである。」と彼は綴り、その言葉にこれからの研究生活を思い奮起された。まだ始まったばかりの大学院生活。自分もこの闘いに身を投じる決意である。
著者紹介:
高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^