オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

人工知能は心を持つか。ディープラーニングとは?その可能性。

人工知能(AI)という言葉は人によって定義が違います。そしてその意味合いは、時代によっても変わってきます。最近あちらこちらでこの言葉が使われるようになりましたが、これは実は三度目のAIブームだと知っている人は多くはないようです。これが意味することは、すでに二度も、この「人工知能」という言葉は人々の期待や不安を一身に背負い潰れてしまった過去があるということです。「機械が人間よりも凄いことをしてみせた!」というニュースを聞く度に、「これができるのならば、これもできてしまうのだろうか..」と、人々の想像は妄想に変わりとどまる所を知りません。今回のAIブームにおいても、大切なことは「この起爆剤となった人工知能における技術革新とは一体何であったのか」ということをしっかりと認識しておくことなのでしょう。

 

人工知能の歴史とこれから

image via gizmode

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「人工知能は人間を超えるか」(amazon)の著者の松尾氏の言葉を借りるのであれば、60年代の第一次人AIブームは「探索・推論の時代」でした。これはコンピュータの圧倒的な計算速度で可能になった「知能」であり、チェスでコンピュータが人間に勝利したというのはまさにその種の人工知能の集大成ともいえます。そして80年代、第二次AIブームは「知識の時代」でした。これはコンピュータの圧倒的な記憶力で可能になった「知能」であり、最近アメリカのクイズ番組「ジェパディ!」で人間に勝利を収めたワトソンがその種のAIの集大成といえるでしょう。

そして今回の第三次AIブームは「表現学習の時代」と説明されます。今回の起爆剤となったディープラーニングという技術が可能にしたことは、大量のデータから物事のパターンを認識するための「目の付け所」をプログラム自らが学ぶことです。 例えば「双子のA君とB君とを見分けるためには、「目」と「口」だけを重点的に見るだけでいい。」といったような「コツ」をコンピュータが自分で発見できるようになったわけです。

数年前にGoogleはその話題のディープラーニングと呼ばれる技術を使って、プログラムに「猫とは?」という視覚的な概念を学ばせることに成功しました。ただし、それは1000万枚の猫の写真を入力に、1000台ものコンピュータを3日間も走らせることを持ってしてようやく可能になりました。このことからも想像できるように、コンピューティングリソースの観点からは今の時点では基本的には画像や次元の低い情報に限られた応用が中心です。しかし、技術の進歩とともに、例えば視覚に加え味覚や嗅覚などを加えることでソムリエしかわからなかったようなワインの正確な見分けのようなこともできるようになるでしょう。また、ニュースやSNSの反応など様々な時間軸の情報の変化を入力に、株価の予想のようなものもより正確にできるようになるかもしれません。こういったものは徐々に抽象化された概念にも使えるようになり、モーター制御や言語理解、そしてそれを用いた知識の獲得も可能になっていくだろうと言われています。

最近話題のドローン(無人航空機)もその一例でしょう。ドローンを人工知能で自動操縦するという取り組みはこれまでもずっと行われてきました。自動でバランスを取り、障害物を避けて、目的地に達する。その過程で地形を把握し3Dモデルを作り上げる。そういったことの基本技術はもうすでに確立され実用化され始めています。

しかし、これらの技術の多くは、今の時点ではまだ人間によって与えられる「コツ」に依存しています。ドローンの操作をディープラーニングで学習させようと思うと、視覚情報も連続的な時間軸を考慮する必要があり、方位や加速度などを測定するセンサー入力も必要になってくるため入力の情報量も増えることになります。しかし今後の技術進歩により、やがてプログラム自らが大量かつマルチモダルな入力から「コツ」を学ぶことも可能になり、それによってより正確で信頼性も高いシステムが開発されていくことでしょう。

 

人工知能は人類の脅威か?

こんな風に考えていくと、やはり人工知能は人間にとってやがて脅威にもなるのでは、と考える人も多いことでしょう。そのように、テクノロジーが急速に変化しそれによって人間の社会がもはや後戻りできないほどにまで変わり果ててしまう出来事のこと、それはシンギュラリティ・技術的特異点という言葉で説明されます。実業家のカーツワイルは、過去の技術革新の歴史から技術力は指数関数的に進歩しているとし、シンギュラリティは2045年に訪れると唱えました。これは、人工知能が自身よりも賢い人工知能を生み出せるようになった瞬間、その知性の上昇にはもはや歯止めが効かなくなってしまうという脅威論です。

これは面白い仮説ではありますが、しかし一方で例えばその仮説の元になったムーアの法則(Wiki)はもう限界を迎えようとしているという話を聞きます。研究者たちの絶え間ない努力の結果、半導体の大きさを小さく小さくし続けることで、これまでは技術の進歩もなんとかムーアの法則の予想についてくることができました。しかし、その微細化も原子レベルまで到達するとついには限界に到達します。もちろん技術革新によりこれからもこの予想通りにテクノロジーは成長していくのかもしれませんが、それは人々の客観的な期待、憶測であり、研究者、技術者の立場からすればやや楽観的すぎるのではないか、という声もあります。従って、シンギュラリティはいつ訪れるのか、或いは本当に訪れるのか、ということは、現状においては予測のとても難しい問題なのではないか、と思っています。

先日、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授らが「10〜20年後に日本の労働人口の約半数の職業が、AIやロボットで代替される可能性が高い」と発表し一部で大きな話題になりました。この記事で語られる通り、実際にこれから多くの仕事が人工知能などによって置き換えられていくことは避けがたいでしょう。ただし、ここで注意しなくてはいけないことは、この予測から、「人工知能のせいで仕事がなくなってしまう」と過度に怯えることは誤ちであるということです。例えばタイム誌の記事に”The Automation Jobless“というものがあります。工業化によって人の仕事がなくなってしまう!とそれは人々の不安を煽ります。ただ、実はこの記事は今から半世紀以上も昔、1961年に書かれたものです。ちょうど第一次AIブームの頃です。

例えばATMが出てきた頃、「これは銀行で働く大量の人の仕事を奪う!」と怒った人たちがいたといいます。しかし実際どうなったでしょうか。ATMが導入されたことにより今まで人出の足りていなかったところにも人が行き渡るようになり、支部も増え、そしてその結果、全体の雇用数は増えたと言う話もあります。

更に重要な事は、今回の技術革新をもってしても、これが未来の延長線上で僕達にとっての「好都合な助手」の域を出ることは難しそうだという現実です。才能に関しては限りなく大きな可能性を秘めています 。ただ、「彼」はどれだけ成果を上げても決して上に立つことはできないでしょう。それは、才能はあるのに「彼」自身には「何をしたいのか」というヴィジョンがさっぱりないからです。そしてこの「有能だけれど出世の出来無い助手」は、初期投資や管理費という名の最低限の給料以外は持って行くことはありません。だから素人目線で言えば、正直移民問題などにおける労働問題よりもよっぽど可愛いものではないかと思ってしまうのが本音です。僕の友人のブログでもこの議論は何度か取り上げられているので興味があれば是非読んでみてください。

ただ一方で危惧されるべきことは、代替される可能性の高い職業の中に職人の高度な熟練が必要とされるような職種が入っていることです。「機械にやらせたほうが安くて早い」という理由で何でもかんでも機械やプログラムに頼り過ぎてしまうと、世代交代した時に本当の知識と技術を持った人がいなくなってしまう可能性があるからです。唯一の頼りが「自身は何をしたいのかがさっぱりわからない」人工知能だけになってしまうことは恐ろしいことだと思います。

これを考えながら、以前読んだ技術者、持田豊さんによる「青函トンネルから英仏海峡トンネルへ」(amazon)で語られていた文化論を思い出しました。

氷河時代、古代象が行き来した通路が津軽海峡の海底には沈んでいる。そして、その海底下100メートルに、一本のトンネルが走っている。青函トンネルである。供給量無限の水が上にあり、そして、その水圧が作用した複雑な地盤を掘り抜くということは、世界中どこを探しても前例のない大プロジェクトであった。この書は技術管理者として携わった著者の視点で、その偉業がいかにして達成されたかを調査から計画そして完成までの長い期間にわたる過程を描くことで明らかにする。また、その成功に続いた英仏海峡トンネルプロジェクトとの比較を通じて、文化よりも実はずっと脆く崩れやすいかもしれない文明というものの一面を考察する。

英仏においては、社会的経済基盤の大きな技術は、すでに十九世紀から二十世紀前半までにほとんど終わってしまった。それは当時、世界のトップを走る有用で斬新な技術の開花期でもあった。その後、社会的要請の緊急なものが、ここ数十年はなかったわけである。それはおおむね二世代にわたってなかったことになる。したがって、以前の多くの基盤形成で得られた経験は、本や机の上でしか見ることができない。..しかし、すべての技術の文献の書くところは、おおむね成功のステップであり、そのエキスのみである。これらの成功の背後には多くの試行錯誤があり、その中にこそ、次の世代を養いうる技術の栄養となるべきものが隠されている。しかし、二世代のへだたりは、文献にならない口伝えの失敗の歴史を学ぶよすがもない。

日本もある時点で教育レベルが他との比較において降下し、経験を真剣に蓄積し活用しないようになると、先に述べたように、経験的技術の低下が、教育のための長い年月に比して、割合短い時間で起こるということである。特に班長クラスのテクニシャンの恒常的な養成と訓練は必須であり、単なる労働問題だけの話ではなくなってくる。これは今後、他のどの分野においても、現場技術の温存育成が重要な課題となってくるので、重大な関心を持ち続けることが望まれる。それがないと、好むと好まざるとにかかわらず、空洞化がいつの間にか進むことになる。..経済(採算)至上主義だけで空洞化が進むと、いつの間にか自分で自分の首を絞める事になりかねない。

歴史上の過去の文明の衰退の一つの原因は、巨大化・空洞化である。なんでも大きいことはいいことだの時代は、掛け声としては終わったと言われてはいるが、巨大化に伴う空洞化、たとえばローマが富の充足・肥大とともに、厭な仕事である軍事などは傭兵に任せたため、軍事技術のテクニシャンは他国の出身者ばかりとなり、実態を失って減退の方向に向かい、少数のゴート族、ゲルマン民族の侵入になすすべもなく支配権を失ったことが思い出される。いずれにせよ、自然や社会と対するか、調和して働くかは別としても、それらを目的にかなうようにできるだけコントロールするのは人間しかないので、..実態を持ったテクニシャンの養成を忘れてはならない。

これを思うと、人工知能の進歩によって今後更に勢いを増して変わっていく世の中においても、きっと一定数の現場技術の温存育成は忘れてはいけないことなのだろうと思ったりします。さもなければ、H.G.ウェルズの古典的なSF小説の「タイム・マシン」(wiki)で描かれた未来、知性を失った人間たちの未来が待っている可能性もある・・と考えたりするのです。

 

人工知能は心を持つか

「人工知能は人を超えるか」という問いに対して僕は未だに明確な答えを持ちえていません。しかし、「今回の人工知能の技術革新が、機械にやがて意思や心を持たせる事になるだろうか」或いは「それは本当に人間の知能を完全に再現した人工知能なのか」と問われれば、僕は首を縦に振ることはしません。今回再びAIブームを巻き起こした技術革新は、社会にも大きな影響を与えるほどの力を持っています。しかし残念なことに、多くの、特に日本の研究者たちが夢見た「鉄腕アトム」を実現するためにはまだまだ足りない要素があるように思えるからです。「心」というものを考え始めた段階で、間違いなくまた大きな壁にぶつかることであろうと思います。この点に関しては、これらの技術の価値に関する見解に多々違いのある僕と僕の指導教官Dr. Stringerとの間でも一致しています。

Scientists such as Simon Stringer at the Oxford Centre for Theoretical Neuroscience and Artificial Intelligence are sceptical about the idea that exponential computing forces combined with machine-learning strategies will lead to the sort of artificial intelligence that could pose a threat to humans. These models have many applications — the ability to trade on markets or navigate self-driving cars — but don’t solve the problem of replicating consciousness. And all of them depend on humans for their intellect. A truly conscious system would have to understand the sensory world in the same way the human brain does. Mr Stringer’s work is focused on achieving this but he doesn’t believe it will result in a superintelligence. He’s aiming for the intelligence of a rat.

Since you asked: Awkward questions on AI (Financial Times)

「じゃぁその先に行くためには一体どうしたらいいのだ」と人は問うことでしょう。本当にその答えを知りたいというのであれば、人差し指の先っぽで自分のオデコを2回叩いてみてください。そうです、そこに全ての答えが入っているのです。あなたの指差すその先に、脳の中に僕達の追い求める答えがあることだけは紛れも無い真実なのです。そして、「計算神経科学」という分野こそ、そこから答案用紙を盗み出すための鍵を握っているはずです。空を飛んでいる鳥を見上げて、人は飛行機を発明しました。だけど僕たちはそれだけでは満足できません。鳥がどういった仕組みで空を飛んでいるのか、それを理解して自分たちの手で鳥をつくるまでは、脳がどういった仕組みで心を宿し、それを理解して自分たちの手で本当の人工知能を作るまでは。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2016年1月31日


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Comments

  1. @ondatomo 2016年2月18日 - 4:59 PM

    人工知能は心を持つか。ディープラーニングとは?その可能性。 https://t.co/uJkldDl4lc @hogsfordさんから

  2. Chisa 2016年10月7日 - 3:41 PM

    こんにちは^_^ブログ楽しく拝見しております。大学生です^_^
    Akiさんに質問なのですが、これから企業がどんどんAIやIOT技術を導入していくに連れて人が必要となる仕事や業務まで将来は必要無くなっていってしまうのでしょうか。最近ではAIの技術進歩によってレンブラントの絵を完全に再現できるようになったと耳にして、職人技術などはどうなってゆくのか、将来の人工知能と人間の共存の仕方が気になってます^_^

  3. Aki 2016年10月10日 - 10:57 AM

    こんにちは。コメントありがとうございます。おっしゃる通り、技術の進歩によって人々の働き方が大きく変化していくことは避けられないでしょうね。そして、熟練の職人技というものもやがてはどれも機械には太刀打ちできないようになることでしょう。ただ今の時点においては、奇抜な発想力や、無駄に面白さを見出す人間の性質など、機械では代替できない人間らしさというものもまだ多くあります。今後はそういう人間らしさを技術によって補いさらに伸ばすことによって、それらが共存していく社会になっていくことと思います。その変革期においてどうすることで皆が幸せを平等に享受できるかということは、今後より一層議論されていかなくてはならないことなのだと思っています。

  4. @BcdChisa 2017年3月14日 - 5:11 AM

    とても面白いので読んで下さい(^-^)

    人工知能は心を持つか。ディープラーニングとは、その可能性。
    https://t.co/eGE7t0uVq4

  5. @yutatatatata 2017年3月14日 - 1:43 PM

    「知識の空洞化」はこれから出てくる「ちょっと賢い人工知能的なもの」によってガシガシ進んでしまうんだろうな。かなり気をつけないと教育を誤る|人工知能は心を持つか。ディープラーニングとは?その可能性。 https://t.co/dVNQfO0JhU # @hogsfordより

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