オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

オックスフォード大学の卒業式。~Fake it till you make it!

オックスフォード大学の学生生活は、Sheldonian Theatre で始まり、そして Sheldonian Theatre で終わる。

Sheldonian Theatre とは、ロンドンのセント・ポール大聖堂の建築家としても有名なクリストファー・レン (Wikipedia) によって 17世紀に設計された「シアター」だ。

「シアター」とは言っても、ここで演劇などが行われるようになったのはつい最近の事。この建物は本来、学位授与等の大学主催の式典を執り行う目的で建築された建造物であるため、”Academic theatre”(講堂) としての意味合いのほうが強い。

上から見るとアルファベットの D の字に見えるこの形状は、ローマにあるマルケッルス劇場に着想を得たと言われている。ただし、マルケッルス劇場は当時のほかのローマ劇場と同様、頭上には屋根のない設計となっていた一方で、式典を執り行うことを目的とした Sheldonian Theatre では、その進行が天気に左右されることは許されず、屋根の設置は重要な要件の一つであった。

しかし重大な問題があった。クリストファー・レンの構想したこの D 字型のシアターに、当時一般的であったゴシック調の天井を作るとなると、それを支えるために最長 20 メートルもの建材が必要となるのだが、残念ながらそんなものを入手する当てはなかった。

その問題を解決したのはさすがは学問の都オックスフォード、そのような長い建材を用いずとも、きちんと計算されたグリッドパターンに基づき設計すれば、理論上は各パーツ同士がそのパーツ自体の重みで支えあい結果安定した天井ができると唱えたのが、当時オックスフォード大学の数学教員であったジョン・ウォリス (Wikipedia) であった。事実その理論に基づき設計された天井は、300年以上たった今でも建設当時のままであるというから流石である。

過去に「オックスフォード大学の一年目は「予備生」」でも書いたように、オックスフォード大学に入学した学生は皆、まず最初にこの Sheldonian Theatre で執り行われる Matriculation という式典に参加することとなる。これをもって、晴れて「オックスフォードファミリーの一員」として正式に認められることとなる。そして各々の課程の定める修了要件を満たした学生は、最後にまた、Sheldonian Theatre で執り行われる Degree Ceremony に出席し、それをもって無事卒業が認められることとなる。

僕も今年、2019年春、この Degree Ceremony に出席するためにゴールデンウィーク休暇を使い渡英した。

「え、今更?」というのが、僕の周りの人たちの正直な反応であった。

それもそのはず、前回「Final viva! オックスフォード大学博士課程・最終口頭試問」で博士課程を締めくくる最終口頭試問に関して記事を書いたけれど、その試問があったのが2017年秋。もう 1 年半も前のことである。

2018年の春からは既に日本で働き始めていたので、「え、どういうこと?まだ卒業してなかったの?」となるのは当然のこと。

正直僕自身もそう思う。オックスフォード大学のこの Degree Ceremony の仕組みは曲者だ。

まず、最終口頭試問を終えると、1,2か月ほどでオックスフォード大学から、

“You have been granted leave to supplicate for the degree of Doctor of Philosophy”

という旨の通知が届く。

“Leave to supplicate” とは直訳すると、「嘆願する許可」である。
要するに、「あなたに博士号を嘆願する許可を与えます」という、なんともオックスフォードらしい上から表現。笑

そして、オックスフォード大学の卒業式自体は、年中ほぼ毎月開催されているので、”Leave to supplicate” を得さえすれば、すぐにでも直近の卒業式に参加できるものと思いきや、これもまたそう簡単な話ではない。

まず、各式典毎に参加できるカリッジがあらかじめ決められており、そもそも各学生に与えられる選択肢はそんなには多くはない。
更に、Sheldonean Theatre の収容人数に限りがある一方で、”Leave to supplicate” を得てから何年も卒業式に参加していなかった人が10年後20年後にやっと参加したりすることも少なくはなく、直近の希望する日程だとすでに満席になっていて参加が不可能というケースはよくある。

僕の場合もその例外ではなく、2017年 12 月に “Leave to supplicate” を得たタイミングで卒業式の空き状況を確認したところ、直近の2018年 3 月や 5 月の卒業式はどれもすでに満席となっていた。だから仕方なく、更に1年後の2019年5月に開催される卒業式に参加することになってしまったのであった。

このように、「嘆願する許可」を得たけれども、いつになってもなかなか嘆願できないでいる人は相当数いるようである。

(尚、その場合はどうするのかというと、製本した博論を大学の図書館に納本さえすれば、一応大学からは “Degree confirmation letter” というものを発行してもらうことは可能となる。いわゆる卒業見込み証明書である。僕の場合も、2018年4月から日本での就職が決まっていたが、この背景を説明し「卒業見込み証明書」を提出することで入社できたので、正直なところあまり実害はない。ただ、だからこそ10年後20年後に「記念に」と卒業式に参加する人たちも多くいるのだろうと思う。)

 

そんなわけで、1年半越しの卒業式。
妻と義母も都合をつけることができ、3人で渡英。

(※ご報告遅れましたが、2018年1月、オックスフォード留学時代からお付き合いしていた彼女と結婚しました 😀 )

 

尚、卒業式当日の日程はこんな感じ。

まずは早朝、仕立て屋で式典で着るローブを受け取り、カリッジへと向かう。
カリッジに到着すると、ポーターにそのローブを預け、卒業登録を行い、ゲストが Sheldonian Theatre に入るためのチケットを入手する。(ちなみに既定では最大3人までゲストを呼べる)

ゲストには控室で待機してもらい、卒業生は、卒業式に一緒に参加する同じカリッジのメンバーで一旦集まり、式の流れ等について簡単な確認をする。
式は基本ラテン語で進められるんだけど、一か所卒業生もラテン語をしゃべらなくてはいけない部分があると聞き、皆動揺。

どうやら式のどこかのタイミングで何かを誓わされるので、”I swear” という意味のラテン語の “Do fidem” と言わなくてはいけないのだとか。ただラテン語なので何を誓わされるのかは不明である。←

そして暫しの歓談のあと、カリッジのダイニングホールへ。

卒業生は皆、ダイニングホールの一番奥にある High Table という奥の特別な席に。
一方でゲストは皆、一般の学生たちが座る席に一緒に座ってお昼ご飯を食べることに。
正直このランチは、ゲストが英語を喋れず一人だけの場合は孤立してしまいかなりキツイと思う・・。

食事が終了すると、卒業生たちとゲストは別々に Sheldonian Theatre に向かう。

青空の広がるとても天気の良い日。
Bodleian Library の前を通った時に、2012年に入学した時、そういえばここで写真撮ったな、と思い出し改めてパシャリ。

7年もの歳月が流れその間自分もたくさん成長した気分でいたけれど、何百年も続くオックスフォードの歴史の中ではほんの一瞬。街の景色は何一つ変わっていなくて、少しだけ悔しさがこみ上げた。

そして Sheldonian Theatre に参列者が全員揃ったところで、式典のスタート。

学部生や修士の学生は下に座らされているのに、博士の学生だけ謎にちょっと良い高い席に座らされる。

副学長がまずは簡単に英語で祝辞を述べた後、オックスフォードの長い伝統にのっとり、ラテン語で式は進んでゆく。

“Causa huius Congregationis est ut Gratiae concedantur, ut Gradus conferantur, necnon ut alia peragantur, quae ad Venerabilem hanc Domum spectant…”

正直何を言っているのかさっぱりである。

時差ボケによる眠気に耐えられず、つい寝落ちしかけている姿がしっかり公式に録画されたビデオに記録されてしまっていた…。

そして突如名前を呼ばれ目を覚まし、他の博士卒業生と共に中央に誘導される。
そして、ラテン語で何かを伝えられる。

“Vos dabitis fidem ad observandum omnia statuta, privilegia, consuetudines et libertates istius Universitatis, quatenus ad vos spectent.”

やはりさっぱり何を言っているのかわからないけれど、皆「あぁこのタイミングか」と “Do fidem” と口にし何かを誓う。

そして一旦 Sheldonian Theatre から退室。
隣の Divinity School で朝カリッジのポーターに預けたローブを身にまとい再入場。

副学長と固く握手を交わし、席に戻る。

続いて修士や学部の卒業生もそれぞれの専攻や学位に応じた服装に着替え入場しそして退場していくのを博士の卒業生は高い席から見届ける。

ちなみに、学位によっては副学長の前で跪き、新約聖書で頭をポンっとされる場合もあるのが面白い。

全ての学生が退場すると、最後に僕たち博士の学生も退場する。
Sheldonian Theatre を出ると、先に退場した学部や修士の卒業生たちが道を作っていてくれて拍手で迎えてくれた。

帰りの飛行機の時間が迫っていたので、式の後30分くらいしか時間がなかったのだけど、研究室や同じ学部の友人も駆けつけてくれてとっても嬉しかった。

そして、これで本当に終わったのだ。

 

思い返せば本当に長い長い留学だった。高校留学から数えると、10年以上も海外にいたことになる。

過去にも「海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで」で書いたように、僕はもともと海外とは全く縁のない学生だった。

英語は大の苦手で、高専時代に受けた TOEIC の点数も、解答用紙で全部 B を選んだ友人よりも点数が低いようなそんなレベル。
極度のあがり症で、人前で何かを発表したりするときも尋常でないほど手が震えるものだから、それを自虐のネタにするしかなかった。
友達と一緒にいても一人だけ何も面白い話ができないことが辛くて、わざとご飯の時間をずらして食堂の端で一人でそそくさと食べていた頃もあった。
幸い英語以外はそこそこできたので、真面目に勉強し、良い成績をおさめ、優等生を演じ続けることだけがそんな自分を正当化するための唯一の手段であった。

そんな自分が何故、10年以上も海外で過ごすことになったのか。
正直自分でもよくわからない。

ただ最初は、何でもいいから、そんな自分を変えるきっかけが欲しかっただけなのだと思う。

少しでも「やりたくない」と思うことがあれば、それをやらざるを得ない環境に無理やりでも自分を放り込もう。

そう決めて高専3年生の時、アメリカの高校に留学したのだった。

過去に「AFS高校留学の頃「走れた」からうまくいった」でも書いたけれど、ここでの成功体験が自分に希望を与えた。

 

“Fake it till you make it”

これは一昔前、Ted Talk でハーバード・ビジネススクールの准教授のエイミー・カディーが繰り返し唱えていた言葉。

あなたはここにいて、やるべきことをやるの。 できてるフリをしなさい。やるように言われた講演をすべてこなし、ひたすらやり続け、怖かろうが 脚がすくもうが 幽体離脱を体験しようが、こう思えるようになるまで続けるのよ。 「ああ やれている! 本物になったんだ! ちゃんと やっている」と。

“You’re going to stay, and this is what you’re going to do. You are going to fake it. You’re going to do every talk that you ever get asked to do. You’re just going to do it and do it and do it, even if you’re terrified and just paralyzed and having an out-of-body experience, until you have this moment where you say, ‘Oh my gosh, I’m doing it. Like, I have become this. I am actually doing this.'”

 

自分を変えるためにする必要があることは、想像以上に単純。

大切なことは「自分にはできない」と思っても、それを言い訳に逃げないこと。
今はできなくても「自分にはきっとできる」と信じ、何度打ちのめされても立ち上がり、ひたすら挑戦し続けること。

アメリカの大学に進学してからも「紙風船の呪縛とアメリカ学部時代の僕」で書いたように、決して平坦な道のりではなかった。自分の可能性を自分自身に証明するためだけに、自分に鞭を打ち続けた日々だった。

オックスフォード大学の博士課程に進学してからもさらに道は険しくなった。何度も潰れかけ、もうすべてを投げ出してしまおうと考えたこともある。だけど、「人生を24時間でたとえると朝の9時。まだまだこれから。」でも書いたように、たくさんの人との出会いや思いに支えられ、最後まで自分の可能性を信じ挑戦し、そして最後にはこうして笑うことができた。

人から言われる「君ならできる」は、何か大きな挑戦するときに、自分の背中を押してくれる。
だけどその道のりで絶望に陥った時、そのどん底から這いあがるための希望を与えるのは、「自分ならできる」という自信しかないと思う。
僕みたいな人間は、結局は自分との戦いなのである。

だから自分を fake することもできないほど滅入っているときは、過去の自分が書いた記事を読み直すこともある。

「少なくとも自分はといえば、それらの問題を意識した上で挑戦する道を選ぶことを心に決めている。まずは、失敗、後悔、挫折。そういう類の物は自分の人生においてないことにしている。夢を高く持ち、それをゴールとするならば、死ぬその時までその結果を知る術はない。それぞれの一歩を失敗にするか、進歩のための必要なステップにするかは自分次第であり、後悔し挫折する事の意味は、おおよそ時間の浪費でしかないと考えるからだ。大切なことは、どんな苦境にあっても自分を信じるという信念だけは堅持するということだ。そして、そんな自分を決して裏切らないと誓う強い責任感がその信念を支えるのだと考える。」

日本人に生まれたからこそ

 

正直、どん底の時にこれらを読むと腹が立つのである。「何も知らないくせに!」と思うわけである。
だけど、これを書いたのは自分なのだ。
そして、悔しいが、今でもこの内容は正論だと思うからこそ腹が立つのだ。

風前の灯だった闘志も、これですぐにまた燃え上がる。

こっちはこの後何年も戦い続けてきたのだ。こんな昔の自分になめられてたまるか!と。笑

だからまだ信じることができる。
まだまだ高みを目指して自分を fake し続けられる。

自分はこれから先も、どこにいっても必ず最後には成果をあげられる。
少なくとも、まずは、そう信じることから。

数年後、疲れ切った自分がこの記事を見返して、「なにくそ」と思うのであれば、それは今の自分にしてみたら思う壺だ。

まだまだできるはずだから。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2019年8月25日


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