セント・ジョージ礼拝堂で輝く菊の御紋。ガーター勲章の歴史
今 年の2月に、オックスフォードから電車でロンドン方面に一時間ほどのところにあるウィンザー(Windsor)という場所に行って来た。ここにはウィン ザー城という女王エリザベス二世が週末を過ごすお城で有名な場所であり、そしてその城内にはセント・ジョージ礼拝堂(St George’s Chapel)というとても立派な礼拝堂がある。
礼拝堂に入ってみると、その豪華な天井に圧倒される。しばらく座ってそれに見惚れた後、英国の最高勲章、ガーター勲章に叙されたガーター勲爵士の旗と紋章の数々が両脇高くに掲げられている一室に足を踏み入れた。そして、その中の一つの紋章に目が釘付けになった。
image via Wikipedia
日本人であるのならば誰もが息を呑むことであろう。その中に唯一デザイン様式の異なる、立派な菊の御紋が堂々と掲げてあったのだ。
オーディオガイドは何一つ言及しなかったが、誰がどう見てもそれは日本の皇室の紋章、十六八重表菊であり、この思いがけない日本との対面に僕は少しだけ戸惑った。
その後調べてみると、これは確かに日本の皇室の紋章に間違いはなく、なんと驚くべきことに日本の天皇は明治天皇以来代々この名誉なる勲章に叙されている歴史を持つというのだ。そしてさらに今上天皇は現在、この中で唯一の非ヨーロッパ人かつ非キリスト教徒というとても特別な存在であるという。
そういうわけで今日はこのガーター勲章に関して。
イ ギリスには現在、9種類の勲章が存在し、その最上位に位置するのがこのガーター勲章であるという。この成立は今から660年も昔にも遡る。当時のイングラ ンドはフランスとの100年戦争に突入したばかりであり、この勲章の誕生の目的は実は、ときの国王エドワード3世による戦争への士気の高揚にあった。中世 ヨーロッパの非常に有名な騎士道物語の一つアーサー王物語には、アーサー王が12人の精鋭の騎士たちと円卓を囲み騎士団を結成させたという伝説がある。エドワード3世はそれにちなんで、エドワード3世のもとに12人、皇太子のもとに12人の24人の騎士をガーター勲爵士に任命し、ガーター騎士団の結成を宣言したという。だから現在においても、イギリス臣民であるガーター勲爵士の数は24人を越えることはないのだという。
ガー ターと聞くと、誰もがまずは「靴下止め」の事を思い浮かべることだろう。このガーター勲章のガーターは、実はまさにそこから来ている。それはその頃、国王 主催の舞踏会で王と踊っていた婦人がガーターを落としてしまった出来事に由来する。当時その失態は非常に恥ずかしい無作法とみなされており周囲は彼女を嘲 笑したという。そんな中、国王だけはそうはせず、そのガーターを拾い自分の膝に付けると「悪意を抱くものに災いあれ」と呟き、そして「このガーターを最も名誉あるものとしよう」と宣言したそうだ。個人的にはそんなことされたほうがもっと恥ずかしいと思ってしまうのだけれど、当時はこれが騎士道精神を象徴する美談となったという。そしてその「悪意を抱くものに災いあれ」という言葉は、この勲章の鮮やかな青のガーターに金色の文字で刺繍が施されている。
またこのガーター勲爵士のバナーがセント・ジョージ礼拝堂に掲げられることにも関係してか、勲章のバッジにはイングランドの守護聖人セント・ジョージの赤十字が、首にかける頸飾にはセント・ジョージが白馬にまたがって竜と対峙する姿が 描かれていいている。丁度先週の火曜日4月22日は、セント・ジョージの日という彼を祝福する祝日であったのだが、このガーター勲章が叙勲される際は必ず この日に行われるという。
しかし、なぜこの戦争のために創設されたガーター勲章がやがて、文化も全く異なる極東の日本の皇室に叙勲されるに至ったのか。そこにはこの勲章誕生以来のイングランドの近隣諸国との歴史を知る必要がある。
ガーター勲章がそこに政治的な意味合いを持ち始めたのはその制定から半世紀、エドワード3世からリチャード2世へと変わり、 そしてヘンリ4世の時代。この頃からガーター勲章が、同盟国の親族に対して血縁関係の強化のためにも叙勲されるようになった。対フランスのための同盟強化 を目的としてこの勲章はやがて親族問わずとも叙勲されるようになり、すると各国もその重要な役割を認知するようになる。100年戦争での敗北、30年にも 及ぶ内戦バラ戦争を通じてイングランドは弱体化し勲章も一時はその価値を失うが、ナポレオン戦争での勝利を契機にヨーロッパの超一流国に返り咲くとその価 値はかつて無いほどまでに跳ね上がった。ガーター勲章を叙勲されるということが、ヨーロッパ各国に限らず、中東、アジアの王侯たちにとっても夢のステータ スへとなったのであった。それを夢見るのは「外国人カメラマンが見た戦前の日本」でも書いたまさにその頃、西欧近代化を押し進め急激に力を伸ばし始めた日本も例外ではなかったわけである。
より詳しい歴史を知りたいという人には、「女王陛下のブルーリボン―ガーター勲章とイギリス外交」が非常にお薦め。amazonに投稿されていたレビューはその内容を的確にまとめていると思ったので、それを紹介しつつ今日はこれくらいで。
「明 治天皇の時代の日本は極東の小さな島国にすぎませんでした。その明治天皇が、ついに欧州で最も格式の高い勲章である英国ガーター勲章を授与される下りがク ライマックスシーンとして劇的に描かれています。本来ガーター勲章は基督教徒で英国王を表敬訪問した王侯にしか授与されないしきたりでした。それが非基督 教徒で外国旅行もままならなかった明治天皇に特別に授与された背景には北清事変、日清戦争、日英同盟、日露戦争など数々の戦争における多くの日本軍将兵の 尊い犠牲があったのでした。ガーター勲章と日本の馴れ初めは今日の平和な日本からは想像もつかない戦争の世紀だったのです。特筆すべきはガーター勲章の永 い歴史の上でその全ての慣例を覆した世界で最初で最後の君主が日本の明治天皇だったということです。またWWIIの日英開戦により一度剥奪されたガーター 勲章を再度授与されたのはガーター勲章史上昭和天皇唯一人であったことも特筆されるべきでしょう。そしてその陰には世界史上かつてない日本の空前の経済大 国化という事実があったことは容易に想像がつくことです。日本の天皇家がガーター勲章の歴史に空前絶後のエピソードの数々をもたらしたことは間違いないで しょう。ガーター勲章は決して世界中にある多くの勲章の中の一つではなく、我々日本人にとってはまさに血涙の歴史そのものであると言えるでしょう。本書の 一読を是非推奨します。(by ツシマ)」
著者紹介:
高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^
@takeyas2000 2016年5月29日 - 6:13 AM
イングランドの「ガーター騎士団」も、これに因みますしねぇ
https://t.co/1vxphFi3AP
@maijp0210 2017年2月25日 - 8:05 PM
https://t.co/xcXeGZtMYl
ちょっと教えてもらった記事何だけど感動した