オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

大好きな先生

今日朝起きると、アーカンソー大学時代にお世話になったトンプソン先生からメールが。なんだろうと思って見てみると、学部時代に出した論文のジャーナルのエディターから、今度出す関連書籍のチャプターを書いてほしいという依頼があったとのこと。学部時代のメールはもう使えなくなっていたから先生に教えてもらわなければ知りもしなかった。この先生には本当にお世話になりっぱなし。今日はそんな先生のことを懐かしく思い返していた。

僕は高専にいた頃、あまり目立った学生ではなかった。授業中に発言するわけでもないし、オフィスアワーに行くわけでもなかったので、成績はよかったけれど自分のことを殆ど知らない教授もいた。
今でも忘れないのは、高専2年の頃、試験を終えたあとにどうしても腑に落ちない問題があって珍しく教授のオフィスを訪ねたことがあった。教授は僕の顔を見るなり「採点ならまだ終わってないよ。でも誰も落第点とるような試験じゃないから君も心配しなくていいから。」と呆れ顔で言った。普段から試験では良い点をとっているし、提出物はいつも誰よりも先に終わらせていたし、殆どの人が面倒臭がってやらない課題も必ず提出していたのに、彼は僕を全く知らなかった。案外そういうことって伝わってないものなんだな、とその時初めて学んだ。

大学に入ってからもしばらくはそうだった。ただ「どうせ伝わらない」と思いながらも「おぉー自分頑張ってる」と自己満足するためだけにいつも何でも無駄に2,3割増しくらいで頑張っていた。2年生の前期に履修したトンプソン先生のクラスも例外ではなかった。グループプロジェクトが基本のクラスだったのだけれど、他のメンバーが本当に何もやらない。ミーティングにも来ないし、レポートも留学生の自分に丸投げ。このままでは自分の成績にも響いてしまうので、仕方がなく必死で3人分の作業を全部一人でやってのけた。ターム最後のプレゼンを聞いてトンプソン先生はその結果を大絶賛していたけど、何もしなかった2人の方が質疑応答でもうまく話せるものだから「きっと俺がグループの足手まといに見えてるんだろうな・・」とか思っていた。

その日の夜、トンプソン先生から「明日オフィスに来なさい。」とメールが来た。
一体何を言われるんだろうともう泣きたい気持ちで次の日オフィスを訪れると、トンプソン先生は笑顔で椅子に座っていた。机の上には自分のグループのレポートが置いてあり、その表紙を指さして彼は、「この長いレポート、おそらく君だけで書き上げたんじゃないかな。」と言った。僕は他の2人のことを告げ口するつもりは全くなかったから困って口ごもると、「見てごらん」と言ってそのレポートをめくり始めた。するとページの至る所に赤い線やら文字やらがいっぱい書き込まれていて、「君は独特な英語を書くね。」と僕の不完全な英語をからかって笑った。そして、「プロジェクトに関してもきっと殆ど君一人でやったんだろう。」と付け加えた。僕は相変わらず苦笑いをしていると、「言わなくても昨日のプレゼンテーションで気づいたよ。」とまた笑った。

この日から色々なことが変わり始めた。2年生の後期には、彼の推薦で、彼の教える修士の授業を履修することになった。そこで企業との会議に参加して、初めて学会発表も経験した。またその時に書いた論文がその年の卒論も含めたすべての学内学部生研究論文から、3つの優秀な論文の1つとして選出されたりもした。更にトンプソン先生はその論文を僕の知らないうちに国際学会に提出していて、「ピアレビューを通ったからドイツに行って発表してきなさい。」と言われるがままに一人でその夏ドイツに行くことになった。初めての国際学会に緊張しきってプレゼンは大失敗。申し訳なさそうに帰ってきた僕を迎えたのはトンプソン先生の「初めてのヨーロッパはどうだったかい?」「観光もたくさん出来たかい?」という笑顔だった。そして改まって「僕も初めて授業を教えたときは本当に緊張して大失敗だったよ。だけどそれを繰り返すことで慣れていくんだ。君にはたくさん経験してもらう。」と励ましてくれた。

3年生前期に初めて無名だけれど一応ジャーナルに論文を出すことができた。またトンプソン先生の推薦で以前にも少し書いたCRA(Computing Research Association)の全米からコンピュータ・サイエンス学部生を選出するCRA Outstanding undergraduate Researcher Awardsにノミネートされ、結果運良く優秀賞を授かった。するとその結果を見たウォータールー大学やヨーク大学の教授から是非院に来てくれとオファーが来たり、googleやamazonのリクルーターから連絡が入ったりなんてこともあった。トンプソン先生はそんな僕のことを他の先生に話すことも大好きだったようで、気づけば授業を受けたこともない先生までも自分に声をかけてくるようになっていた。

「案外伝わらないものなんだな」と分かっていながらも、積極的にアピールすることをしなかった僕を、彼は見つけてくれた。そして英語もそんなに上手じゃない自分を信じて、次々に色々な機会を与えて育ててくれた。本当に一人ひとりの学生のことをよく見ていて、その成長を自分のことのように喜べるとても素敵な先生だった。彼との出会いがなかったら、僕は間違いなく今ここにいない。

そんな彼は、今年いっぱいで教授職を降りることを決めたという。以前に「先生をやめたら何をしたい?」と聞いた時に、「僕のミドルネームはteachingで、名前はresearchだよ。なのに全く違うこと?」と冗談を言って笑った後に、「旅行かな。日本にはまだ行ったことないからいつか行ってみたい。」と楽しそうに語ってたことを思い出す。いつか本当に遊びに来てほしいもの。

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そんなことを色々と思い出しながら、ちょっと暖かい気持ちになった朝でした。

追記

アメリカEXPOの為に、この記事を大幅加筆修正しました。是非読んでみてください。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2013年8月21日


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