オックスフォードな日々

とあるオックスフォード大学院留学生のブログ

日本人に生まれたからこそ

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研究の相方のベトナム人。彼と出会ったのは、丁度今から二年ほど前のことである。一年間同じクラスにいたにもかかわらず、彼の存在すら知らなかったし、おそらく向こうも同じであっただろう。もし、当時のルームメイトだったアメリカ人の紹介がなければ、彼とは一度も言葉を交わす機会はなかったかもしれない。今年の春に、彼はコンピュータ工学部の主席として、自分はコンピュータ科学部の主席としてそれぞれの学部を卒業し、現在ではルームメートとして彼は大学院へ、自分は残りの心理学の専攻で学んでいる。

自分は、基本的に人に興味を持つことが少ない。皆がすごいという人に出会えば、どうしてもまずは懐疑的になってしまうし、かといって誰にも知られていないすごい人は、何分目立ちはしない。

本音を語れば、当時、自分は共に学ぶ多くの大学生にすっかり呆れてしまっていた節がある。課題を期限通りに提出できない学生、試験の結果に教授を非難する学生、グループワークで全く仕事をしない学生、しかし口だけは達者な学生。真面目にやっている自分が馬鹿を見る日々にすっかり嫌気がさしていた。

しかし、その思いも彼との出会いで払拭された。問題は、何を持って「馬鹿を見る」とする事であった。少ない投資で最大限の利益を得ることを目的とする際に、その利益の指標を何に求めるかという事である。仮にその利益を目先の成績などの結果で測ろうとすれば、確かに多くの無駄はあったであろう。しかし、ここで言う利益の本当の指標は、知識や経験の豊富さを持って測られる自分自身の成長の値であるべきだと気づかされたのだ。今まで「馬鹿を見る」と思っていたことは、むしろ自分にとって好機であったという発想の転換であった。

自分をもし勤勉と呼べるのであれば、正直、見栄を守るためだけに、義務感を金箔で塗り立ててそれを幸せと呼んだ結果に相違はなく、それは多くの闇の部分を含蓄していた。一方で彼の勤勉さの根源は、純粋な学習欲にあるように見えた。食事中であれ、移動中であれ、休みの日であれ、寝る間を惜しんで学ぶことに努め、しかし彼もそれを幸せと呼んだ。ある日のこと、徹夜明けにもかかわらず、ご飯を食べながら論文を読む彼に「勉強しすぎなんじゃないか。」と尋ねると「自分はまだまだ。」と答えた。「それに・・・」と言い、目を少し伏せて「勉強できる環境で勉強しないことは、僕の中で罪悪感を生んでしまうんだ。」と小さな声でつぶやいた。

自分はかつて高校留学時代、クロスカントリーという長距離走の部活に属し、それなりの好成績を上げた。よく仲間には「体力があっていいね。」と言われたが、決してそうではなかった。自分にとって長距離走が必要とするものは、体力以上に精神力であり、それは速い人を一人選び、最後までその人についていくという信念を貫き通せるか否かの戦いであった。

多くの人は、努力を惜しまない人を見て、「努力をできる才能のある人」と敬意を込めて言う。しかし、自分はその考え方を到底許容することができない。あるインタビューで、イチローはこう言った。「僕を天才と言う人がいますが、僕自身はそうは思いません。毎日血が滲むような練習を繰り返してきたから、いまの僕があると思っています。僕は天才ではありません。」一見雲の上の存在のように感じる人であっても、誰でも初めは同じように生まれ、育ち、ただ単純にどこかの岐路で何かを信じてその険しそうな道を選んだだけのことなのである。才能の有無ではなく、それは誰しも持ち得る選択肢。だからこそ、そんな簡単な言葉で切り捨てていい物ではないと自分は考えるのだ。そして、それ以上に、そんな言葉を使い始めた途端に、自身の人生を「努力する才能がない」ことを理由に悲観する余地を生み出すだけである。才能は無くても努力だけは誰でもできると信じることで、可能性は誰の元にでもあると言う希望を決して失うべきではないと考えるからだ。

ポジティブ心理学の生みの親として有名な心理学者マーティン・セリグマンは、失敗や絶望などで無力感を学んだ人は、それ以降同じ状況に陥った際にもはや挑戦さえをもしなくなるという学習性無力感を証明した。彼の有名な犬を使ったその実験では、檻の床に電気を流した際に、ボタンを押せばそれが止まることを経験した犬と、何をしても電流が止まらないことを経験した犬とが用意された。そして、順番にそれぞれの犬を柵で二つに分けられた檻の片側に入れ、犬のいる側の床に電流を流す実験を行った。結果、前者のグループの犬はこの電流を止める方法を模索し、柵を跳び越え反対側に行けば回避できることを学習した一方で、後者の犬は、動くことさえせずその電流を全身で受けることを甘んじた。彼らはこの実験に改良を加え、猿や人間においても同様の学習が起こることを示し、「あらかじめ、自分の力で事態を変えられることを学んでいれば、無力感に陥らずにすむ。人生の早い段階でこれを学べば学ぶほど、無力に対して有効な免疫力をつけることができる。」と結論づけた。

それをふまえて考えると、今日の日本の教育の下では子供達の自信が育ち難いという話にも合点がいく。ジャーナリスト櫻井よしこは、彼女の米国での大学生活を振り返って以下のように指摘する。「日本での教育が、あれはいけない、これも問題がある、だからしない方がよいといういわば減点方式と受動に陥りがちなのに対して、米国での教育は完全に加点方式と能動を特徴としている。夢を描いたら挑戦してご覧なさい。こうしたいと考えたらやってみなさい。どんなことでも尻込みしたりあきらめたりしないで突き進んで御覧。他人に迷惑をかけてはならないけれど、自分の責任で、何でもやって御覧、という具合なのだ。」日本では、子供達から様々な種類の挑戦の機会を奪ったあげく、管理された流れの元、偏差値や学校名を競うだけの受験戦争に突入させられる。結果として、前者の犬と後者の犬の差を明確にするだけであり、更に前者の犬の多くでさえ、学校名で人生安泰だと勘違いをし挑戦することを止めてしまう。「思いは人生を形づくる。若いカエサルの胸には、常識的な可能性の範囲を超えた、自分の人生に対する大きな期待があった。将来必ずや歴史的な偉業をなすのだ、という思いである。」果たしてこの土壌でどれだけの、そのような強い思いや大きな夢が育ち、それを追求できる人材が実り得るというのだろうか。

一方で、米国式の個人主義を手放しに褒めることもできない。自己の拡大は同時に、公共の安寧から個人の幸せへの移行を意味する。セグリマンは、結果として、社会が個人の喪失感を慰めてくれるという保証を失うことになると指摘する。政治不信に自国に対する信頼が揺らいでいる今だからこそ、これは更に大きな問題である。

少なくとも自分はといえば、それらの問題を意識した上で挑戦する道を選ぶことを心に決めている。まずは、失敗、後悔、挫折。そういう類の物は自分の人生においてないことにしている。夢を高く持ち、それをゴールとするならば、死ぬその時までその結果を知る術はない。それぞれの一歩を失敗にするか、進歩のための必要なステップにするかは自分次第であり、後悔し挫折する事の意味は、おおよそ時間の浪費でしかないと考えるからだ。大切なことは、どんな苦境にあっても自分を信じるという信念だけは堅持するということだ。そして、そんな自分を決して裏切らないと誓う強い責任感がその信念を支えるのだと考える。

そして、そんな個人主義の弱さである精神面を支えるものを、国であり、宗教であり、家族であり、そんな日本人の原点に戻った考え方に見いだす。浅田次郎の終わらざる夏にこんな一節がある。「自分が幸福を感じたとき、その幸福がいったい誰によって、何によってもたらされたのかを、必ず考えなければいけない。そうでなければ幸福を受けとめる資格がない。」感謝の気持ちを忘れないと言うことは、同時に自分はより大きな存在に見守られているのだという精神的支えを生み出すことになる。だからこそ、気兼ねなく精一杯突き進むことができるようになるのだと信じている。

先日、例のベトナム人の学生と共著した論文が、ポーランドとカナダのIEEE学会で認められ、発表するために招待された。教授や研究者陣に混じって、高々学部生の二人の論文が認められたのだから心底喜んだ。しかし、それもつかの間、彼は渡航ビザの発行が最大三ヶ月かかるという事実を知り、参加を諦めざるを得なくなった。一方で自分は日本人というだけで、どちらの国もビザさえ求めない。日本という国が自分の後ろにあるありがたみを知る。恒産なくして恒心なしとあるが、恒産ある日本においてもし恒心が霞んでしまっているのだとしたら、それはとても虚しい。学びたくても学ぶことができない人が数多くいるこの世の中で、この日本という国に生まれたからには、その尊さを次の世代に受け渡せるだけの価値のある人生を送りたい思う日々である。

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著者紹介:

高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^

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Aki • 2011年7月30日


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Comments

  1. S.T. 2011年8月7日 - 10:05 午前 URL

    若者は志し高く持たなきゃだめですよね。そして、日本人全員が当事者意識を持つことが必要です。求心力のあるリーダーを求めるのでなく、国民一人一人が日本を変えるという意識を持って行動しなければ、この国は変わらないと思います。

  2. Shin 2011年8月21日 - 10:05 午前 URL

    ご無沙汰。十年ぶりくらいか。
    ってこの名前だと誰か分からんよなw
    とりあえずブログ全部読みました。共感できる部分があったりで面白い。

  3. Aki 2011年8月23日 - 10:06 午前 URL

    >S.Tさん
    いつもコメントありがとうございます。自分さえよければいいという考えも、日本という大きなバックがあってこそ持つことができるということを忘れてはいけませんよね。自由ばかりを求めて責任をおろそかにするのは、とても情けないことです。それぞれが自分の役割と意味を考えて日々の生活を送ってもらいたいものですね。

    >shinさん。
    ひさしぶり!…といいたいのですが、誰だかさっぱりわかりません。笑
    でも、読んでもらえて嬉しいです。
    たまにしか更新しないけど、これからもよろしくお願いします!

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