オックスフォード博士課程3年目のConfirmationを終えて残りあと一年。
最近、手帳を持ち歩くことがなくなった。かつては父を真似て、日経ビジネスの茶色の革の表紙に金色でイニシャルが刻印されたちょっとだけ高級な手帳を買って、どのページも予定でぎっしりと埋めることが趣味みたいなところもあった。だけど今やすっかりテクノロジーにspoilされて、ここ数年のスケジュール管理は専らGoogle Calendar頼り。なんせ航空券を予約すれば自動的にその旅程がカレンダー登録されるし、Gmailで受信したミーティングの予定もワンクリックでカレンダーに追加できる。予定のイベントに設定された場所の名称をクリックすればGoogle Mapでそこまでの行き方を表示してくれるし、スマフォのホーム画面に設定されたGoogle Nowにはその場所の天気やお勧めのレストランとかまで出てきたりする。
アメリカ人が「スケジュール帳」のことを”calendar”や”datebook”なんて呼ぶのに対して、イギリス人は”diary”と呼ぶ。初めて”Don’t forget to write the date of the meeting in your diary.”なんてことを言われた時は「“日記”にそんなこと書かないよ(笑)」とか思ったもの。だけど実際考えてみると「スケジュール帳」にある未来の予定の殆どは、それが過去に変わった瞬間に「日記」に変わり得る。実際、ふと「いつ、どこで、誰と何をしていたっけ?」と思った時に、自分が真っ先に開くのはGoogle Calendar。どれだけ昔の記録であったとしてもすぐに正確な情報に手が届くものだから、「日記」という用途としてのGoogle Calendarの価値も無視できない。
未だにそんなスマフォも、紙と手書きの手軽さや品には太刀打ちはできないけれど、その性能が上がるにつれて段々変わってくるのかな、とか思ったり。先日、僕と同期で博士課程を始めた友達とそんな話をしていたら、彼はスマフォを手に取り、「これね、ちょっと面白い使い方もあるんだよ。」と、こんなことを話し始めた。
「俺は、どんな予定でもとりあえず追加するんだよ。例えば、5年後にこのメンバーでまた会おうぜ!みたいな思いつきみたいな予定も全部。そうすると、忘れた頃に昔入れた予定のリマインダーが表示されて、時の流れの早さを実感できて面白いんだ。」と。
確かにそれは面白そう!とみんなで関心していると、彼は続けた。
「そういえば昨日ね、そうやってずっと前に登録した予定のリマインダーが表示されたんだ!」と嬉しそうに。
「その予定によるとね…」
みんなニコニコして耳を傾ける。
「俺は今頃、卒業式に出席しているはずだったんだな。」
「・・リマインダーうるさいから、そっと消しておいたよ。」と。
そのオチにケラケラとひとしきり笑った後、最後に一緒に小さなため息をひとつ。笑
..僕も彼と同じだった。オックスフォードに来たばかりの頃は3年で成果上げてとっとと博士課程なんて終わらせてやる!と意気込んでいた。
HELLO OXFORD! I will challenge you.
Posted by Akihiro Eguchi on Tuesday, September 25, 2012
だけど同時に、自分の弱さも分かってはいた。学部の頃と同じやり方では、きっと何処かでだめになってしまう。だから、そうはならないように頑張らなくては。と、自分に言い聞かせていた。
近年の自分には、情動に飲まれ視野が極端に狭まるきらいがある。母親のくしゃみで大泣きするような繊細な情動を持って生まれ、小学校の頃もよく悔し泣きをし、どんな下手な演技にでも感情移入をした。そんな顕著な情動は、アメリカでの四年間において、自分を奮い立たせて信念を堅持しそれを達成に向け突き進む為には非常に都合がよかった。しかしそうやって多用しているうちに、気づけばそれが癖にさえなってしまったのであろう。
ただ、いざ始まってみると何も変えられない自分がいた。頭では分かっているのに、相変わらず同じやり方に固執していた。案の定、壁・壁・壁の連続。研究は全く思い通りに進まないし、挙げ句の果てはその焦りから自分を思ってくれている人にまできつくあたってしまう日々。そうして5年続いた恋が遠距離の末散った。先日の「海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで」で書いたように、遠藤周作の「爾もまた」で描かれる留学生の虚しい醜さにひどく胸を傷めたのは、きっとそこに当時の自分自身の絶望を見た気がしたからなのだと思う。
博士過程は2年目の半ば。何もかも思うように進まず、スランプのまっただ中だった。学部時代は頑張りさえすればなんでも目に見えた結果になって返ってきた。学業も研究も、人付き合いも恋愛も、すべてが自分の願う通りに運んだ。しかし、オックスフォードに来てからというもの、何もかもが上手くゆかなかった。自分はここで一体何をしているのだろうと、幾度と無く自身に問いかけた。
それでも、ここで膝をついたら全部が終わってしまう、と踏ん張った。そして2年前の10月、”Probationary Research Student”から正式な”DPhil candidate”になるための”Transfer viva“を、期限ギリギリで通過。その後も、チューターをやって学生を教えたり、フォーラムで講演したり、ラボの外の研究者と共同研究したりと、無理やり忙しくすることで歩みだけは止めないようにと努めた。
それから、どんなに憂鬱な時でも笑顔でいることにも努めた。
嬉しいな 楽しいな
幸せだな 有り難いな
素晴らしいな私がゆくところに太陽が照り輝く
私は太陽である
今日もこの笑顔で出発だ
この詩を教えてもらった時、「悲観は気分、楽観は意志。」という、昔、麻生元総理大臣が言っていた言葉を思い出した。そして、また、頑張ろう、と。
「日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。」
気づけばもうオックスフォードにやってきてから3年の月日が立つ。一時はイギリスはあんまいい思い出ないままで終わるのかな、と諦めかけていたけれど、大切な出会いに恵まれてこの一年間はソーシャルな部分も充実してたし研究も軌道に乗り始めた。投げ出さないで笑顔で頑張り続けて良かったと本当に思う。先週、ようやくTransfer vivaに続く第二の試験、confirmation of statusを無事終えた。これにて、最後の博論提出までの1年間のカウントダウンが始まったというわけである。当初の予定よりもまるまる一年遅れての到達だけれど、ここに来るまでに本当に色々な事があったものだから、つい感慨に耽ってしまう。
もちろん、まだまだ終わってはいない。むしろここからが正念場。先日の「海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで」も、たくさんの方にシェアして頂き身の引き締まる思い。将来子供達に「頑張れ!」と自信を持って言える様、日々精進していく所存。今まで応援してくれて、支えてくれたたくさんの大切な人達の思いを踏みにじってしまわないよう、もう後一年、より一層頑張ります。
著者紹介:
高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^