正々堂々と生きる
幼い頃から負けず嫌いだった。
競争や、勝負があると、必ず一番になりたかった。
これは5歳の頃の写真。
「一番になることしか考えていない子供」と言えば、ひと目でどれだかわかってしまう。
「雑巾は丸めたほうが広げた時よりも滑りやすい。」「丸めれば一番でゴールできるはずだ。」
そう考えた時のことを今でも覚えている。
もうこの頃から自分は自分であったのだから、もうこれが自分だと認め諦めるしかない。
ただ、この頃から今まででひとつ確実に変わったことがある。
それは、どんなことをしてでも勝ちたい。という幼さが消えたこと、笑
雑巾がけは床を綺麗にすることが本来の目的であって、その「ルール」を破ってまで勝つことは、まったくもって「正々堂々」とした戦いじゃない!笑
どんな”戦い”においても、今では必ず自分に課していることは、正々堂々と戦って勝つということ。
それは至極当然のことの様であるけれど、少なくとも自分の信じる「正々堂々」という言葉の定義の下においては、これは案外簡単なことではない。
例えば中学時代、学年の上位30人くらいの学生は皆、同じ塾に通って定期テストの過去問を共有していた。それを批難するつもりは毛頭ないけれど、自分の中での戦いは、この中でいかにして独学でトップになるかだった。それが自分の考える「正々堂々」だった。
或いは高校留学時代、定期試験に際して教師が「君は留学生だから、家に持ち帰ってやってもいいよ。」と提案してくれた。だけどそうしてまでして良い成績を収めることは、自分の中での戦いにおいては敗北であった。だからその提案を受けず、必死で勉強して他の学生と同じ時間制限の中で好成績をおさめた。
大学に入ってからも、難しいテイクホームの試験や課題を、「人に相談せずにやること。」と言われているのに勉強会みたいなことをしている人はいっぱいいた。同期の友達は「この学部で生き残るにはこれが唯一の方法。」と新入生にアドバイスしていたけれど、学部主席で卒業したのはいつも一人で勉強した自分だった。(これは単純にコミュ障だからかw)
「皆もやっているなら、自分も同じ事をしないとフェアじゃない。」と周りの多くの人はいうけれど、それは自分に課しているフェアな精神とは違う。
アンフェアな事は皆がやっていようがいまいがアンフェアなことであって、それをしてしまえばその人もアンフェアだと思う。
自分はむしろそういう時こそチャンスだと感じる。
同じ負けるでも、アンフェアを追随してそこで本気でやった結果負けるのではなく、フェアを頑なに守って本気やった結果負けるのであれば、自分のダメージを最小限に抑えられるから。
間違いなくこの考え方へのシフトは、自分の中では意識的な逃げ道の模索の結果だったと思う。
成長の過程で「勝つこと」への願望がいつしか強迫観念へと姿を変え始めた頃、いつか必ず対峙するであろう自分では到底足元にも及べないような世界への接触に対する恐れからであったのだと思う。
まぁそう分かって、自分に言い聞かせてもこのobsessionからは、なかなか逃れられないものなんだよね^^;
特に、自分の信じる「正々堂々」で戦って、自分より圧倒的に出来てる人たちが周りにもあまりにも多い時。
すごい人やっぱ多いな、この世の中は。
僕も頑張って、少しでも近づけるように正々堂々一所懸命やらなくちゃ!
さて、月曜日からまた気を取り戻して頑張りまーす。
著者紹介:
高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^




