海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで
学部はアメリカ、院はイギリス。そして年に幾度も「学会」や「サマースクール」という名で各国のマイナーな都市に短期滞在。そんなものだから、旅行好きの友達とかは僕も根っからの海外好きだと思って話しかけてきたりする。だけど残念なことに、その印象は実のところ全くの勘違いだったりする..。にも関わらず、10年前に高校留学を決意して以来、気づけば僕の海外生活は今年でもう9年目に差し掛かる。
先日パソコンの整理をしていたら、2012年の「第1回カガクシャ・ネット総会」で、留学を考えている学生に向けて作ったスライドが出てきたので、今回はそれにそって「海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで」を紹介することにします。「留学」というとキラキラしたイメージだけが語られがちですが、今留学している人、これから留学を考えている人に、そこにある苦悩や葛藤と、それと戦う信念と覚悟のあり方も伝えられたら、と思って書きました。アメリカ・イギリスの大学院進学を考えている人は、最後に紹介する出願のタイムラインも是非参考にしてみてください。
著者略歴
学部留学までのの経緯
初めての留学は、高専生の頃にしたアメリカでの一年間の交換留学。もともと留学に興味はなかったけれど、寮の先輩は「行けるなら行っておくべき」というし、今はもうなき「盛田国際教育振興財団」から奨学金も頂けることになったので、「じゃぁそれなら。」と。
今思い返してみても、あの怖いもの知らずの若さがあったからこそ学べたものは多い。
若さに満ち溢れ、夢に目を輝かせ、恐れ知らずで感情豊かなあの時期だからこそ、彼らがそこで得 るものはとてつもなく大きい。僕も未だにあの頃のことを思い返すと胸が高鳴る。
そして、その一年のアメリカでの経験が、僕にアメリカの大学に進学することを決意させたのだった。
僕の通ったアメリカの高校では、授業の履修は基本的に選択制で、学生は皆学びたいことを自らの意志で選んで学んでいた。どの授業もインターラクティブで刺 激的で、またどの学生も自分の意見を持ち、それを発言し議論できることに驚かされる毎日だった。一方で、彼らはよく遊び、スポーツもし、音楽もし、切り替 えも効率もとてもよく、今まで自分が見ていた世界がいかに小さいものであったかを気付かされた経験だった。同じ世代の高校生が、「僕は映画監督になるん だ」とか「政治家になるんだ」とか、何の恥じらいもなく堂々と言える姿に心を揺り動かされて、大した根拠がなくたって好きなことを信じて生きたいように一 所懸命生きることを選べばいいのだと気付かされた。その時、僕は大学はアメリカに行くことを決意したのだった。そうしてもう少しだけ夢を追ってみようと 思ったのだった。
アーカンソー大学を選んだ理由
アメリカの大学選びは、大学のレベル、授業料、そしてそこでの教育をサポートするその地元企業のバランスにフォーカスを当てて選べば大体成功するんじゃないのかな、と感じている。
もちろん金銭的にも実力的にも問題がなく「名門校」行けるようなら行くべきだと考えています。しかし、大学を選ぶ際に頭に入れておいたほうがいいことは、そこまで高い学費を出さなくても、日本では無名の大学であっても、それらの名門校に肩を並べられる可能性のある大学はアメリカ国内にいくらでも存在するということです。
ただアメリカには4年制大学だけでも2500近くの大学があり、まさにその質はピンからキリまでです。ですから重要になってくる問題は、その基準をどこに見出すかということです。
その選択方法として、僕がアドバイスしたいことは2点です。
1. U.S. Newsなどのアメリカ国内の大学ランキングで100番前後に入っているかどうか。
2. 大学における学問をバックアップする大企業が同じ地域にあるかどうか。
アメリカの大学の特徴(学部)
アメリカの大学の特徴は、「ダブルメジャー」「ダブルディグリー」などの自由な専攻選択と、「オナーズ・プログラム」という頑張りたい人をバックアップする仕組み。
学部における専攻の概念は、日本とアメリカの大学を比較する際のとても大きな違いの一つです。例えば「将来脳科学者になりたい」という夢を持っている学生が いたとします。しかし「脳科学」というのは生理学、生物学、物理学、生化学、心理学、医学など様々な分野を包括する学問を指します。従って、その学生は日 本の大学に進学するのであれば、出願の時点で彼・彼女の限られた知識から重要な専攻の決断を迫られることになるのです。一つの学問を究めるということだけ に目をやればこれは確かに利点となりますが、「この分野の研究に身を投じたい」というような、研究者にとって非常に重要な動機の探求の機会を奪いかねないと いう側面もあります。こういう視点で考えると、アメリカの大学における入学時の専攻選択は日本におけるそれと比べて非常に柔軟なものです。アメリカの大学 では、学生は専攻を容易に変更することが出来、またダブルメジャーやダブルディグリーの修得を目指すという選択肢も与えられます。従って、まだ自分の本当 の興味が定かで無い学生、複数の分野に及ぶ興味を持つ学生にとっては、アメリカの学部留学はとても大きなメリットが有ると言えます。
アメリカ国内で上位100番前後に評価されている地方の大学には所謂名門大学と呼ばれるトップの大学の学生とも肩を並べるような学生は多くいます。例えば大学時代の友達のアメリカ人を例に挙げれば、彼はハーバードに合格をしていながらも、学費・生活費全額支給の奨学金を得られるという理由から地元の州立大学に進学しました。こういう実力のある学生の受け皿となるのがオナーズプログラムというわけなのです。オナーズプログラムは一般学生の為のカリキュラムに様々な課題を上乗せすることで、どんなレベルの学生にとっても大学生活が無駄になることの無い環境を与えます。そして、卒業時にはその成果に応じたLatin honorという称号が授与され、これは大学院進学や就職においても大きな意味を成すようになります。国内100番前後の大学出身者が「○○州立大学を卒業しました」と言うだけであれば「中堅大学でてるから、面接に呼んでみようか。」という程度の評価が、「○○州立大学をSumma cum laudeで卒業しました。」と言うことで「是非面接に来てください。」となるほどの違いを持つと感じています。そしてそういう仕組があるからこそ、優秀な学生も安心して地元の州立大学に進学するという事例も多くあるのでしょう。
学部時代の苦悩と成功は以前に書いた「紙風船の呪縛とアメリカ学部時代の僕」で紹介している。
英語では「頑張れ!」ではなく、”You can do it!”なのだ。と。
英語だって未だに下手くそだし、飲み込みの悪さや要領の悪さを克服できたわけじゃない。ただ、目標をしっかり決めて、純粋に自分が「すごい!」と思える理想像を夢見て目の前の畑を黙々と耕しただけの4年間だった。辛くて辛くて挫けそうになった時も何度もあったけど、自分だってやれば出来る事をどうにかして自分に示したくて必死だった。
アメリカ・イギリス大学院出願プロセス
アメリカ・イギリス大学院の出願タイムテーブル
ずっと昔からMITに憧れていたけれど、結局それは叶わず。
二〇一二年五月、自分はアーカンソー大学を卒業した。計算機科学と心理学の重専攻であったため、この四年間での取得単位数が一八〇を超えた。一方で論文も 複数発表し、プログラミングコンテストでも成果を出し、好成績を維持しながらTAとして学生を教える経験も積んだ。自分の中で思いつく限りの全ての理想を 達成することが、学部時代の唯一の目標だった。その結果に対して、いくつかの大企業や一流大学からの誘いを受けたが、一方で長年の夢だったMITからは、 インタビューの声さえかからなかった。そして、全てが崩れ落ちるような幻想に襲われた。
だけど、それがあったからこそオックスフォード大学との出会いがあった。その時のエピソードや思い出は以前にも書いたとおり。
「うちの学校はね、家柄で学生をとってるんじゃないか。ってよく非難されるんだ。だけどね、本当はそうじゃないんだ。」
ドキドキしながら首を傾げると彼はこう続けた。
「わかりやすい例を挙げようか。今日の面接で最後まで残った学生の中に、学業面でとても優れている学生がいた。しかし彼の印象は最悪だった。彼はネクタイなんてする必要がないと考えたのだろう。もちろんそれが直接的な原因ではないよ。でもうちの学校はね、未だにそんな些細なことを気にするんだよ。伝統や慣習的な礼儀、常識をないがしろにする人は、ここの文化にはそぐわない。」
そして俺のことを見て、笑顔になり、
「君はとってもオックスフォードらしい。合格を伝えに来たよ。おめでとう。」
捨てる神あれば拾う神あり。そしてその神は、図らずも祖父の夢であったオックスフォード大学であったということも、何か運命という名の縁を感じずにはいられなかった。
実は僕は祖父のことをあまり良く覚えていない。僕の名前をつけてくれたのは彼だし、幼い時に沢山お世話になったというけれど、残念ながら殆ど覚えて いない。物心がついた頃には彼はもう病院のベッドの上だったし、「面白いことを言って皆を笑わせるのが大好きだった」とか「スポーツ万能でとても努力家 で、とても知的だった」という彼のことを僕は何も知らない。そして、中学生の時、彼はそのまま遠くに行ってしまった。
その年に帰省した時、父は僕にそんな祖父の話を色々と聞かせてくれた。祖父の同級生に言わせれば、彼は飛び抜けて頭がよく、いつも皆の中心で、地元 では誰もが彼を慕っていたという。しかし祖父は兄を戦争で失い、家計を支えるために大学にいくことを断念せざるを得なくなった。彼は勉学を続けたかったけ ど、運命がそれを許さなかった。そんなこともあってか祖父は、「ハーバードでもオックスフォードでもお前が勉強したいならどこでも行け」と父に言っていた そうだ。だけどそれに必要な出費を考えると、それは余りにも非現実的なことだった。そんな事を話してから「だけどな、」と父は言った。「今の俺なら同じ事 をお前に言うことが出来る。」「そして、お前なら親父の夢を叶えられる。」と。
あれから10年。僕は今、オックスフォード大学で勉強している。
最後に
10年前、留学という選択をしていなかったとしたら今頃自分は何をしていたのだろうか。と、ふと考えることがある。特にアメリカで学部留学を始めたばかりの頃は、この選択を正当化できる「理由」ばかりを必死で負い求めていた。「紙風船の呪縛とアメリカ学部時代の僕」で書いたような日々は、今となっては良い思い出だけれど「またやれるか」と問われたら尻込みしてしまう。20代前半の総てをこの戦いに費やしたことが果たして正解だったのかは、自分でもわからない。だけど4年前、まだ学部生だった頃、自分に言い聞かせていたことがある。
少なくとも自分はといえば、それらの問題を意識した上で挑戦する道を選ぶことを心に決めている。まずは、失敗、後悔、挫折。そういう類の物は自分の人生においてないことにしている。夢を高く持ち、それをゴールとするならば、死ぬその時までその結果を知る術はない。それぞれの一歩を失敗にするか、進歩のための必要なステップにするかは自分次第であり、後悔し挫折する事の意味は、おおよそ時間の浪費でしかないと考えるからだ。大切なことは、どんな苦境にあっても自分を信じるという信念だけは堅持するということだ。そして、そんな自分を決して裏切らないと誓う強い責任感がその信念を支えるのだと考える。
最近、政府の「トビタテ!留学JAPAN」や色々なメディアにおける留学促進キャンペーンの影響なのか、「留学」という言葉を聞いて、ただ漠然とキラキラしたものを思い浮かべる人も多い。だけど、僕の知っている留学は、もっとずっと泥臭いものだった。覚悟がなければ、すぐに押しつぶされてしまうような重圧があった。遠藤周作の「爾もまた」という小説で描かれる「留学」こそ、僕の知っている留学だった。
家も路も教会も石の集積だし、その石の一つ一つの歴史の重みがある…。長い長い間の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。
この国に来る日本人には三種類ある…。この石畳の重さを無視する奴とその重みを小器用に猿まねする者と、それから、そんな器用さが無いために、僕みたいに轟沈してしまう人間と・・・
僕ら留学生はすぐに長い世紀に渡るヨーロッパの大河の中に立たされてしまうんだ。僕は多くの日本人留学生のように、河の一部分だけをこそ泥のように盗んでそれを自分の才能で模倣する建築家にはなりたくなかっただけなんです。河そのものの本質と日本人の自分とを対決させなければ、この国に来た意味がなくなってしまうと思ったんだ。田中さん、あんたはどうします。河を無視して帰国しますか。あんたも河を無視しないで、毎日、この国で生活すると言いたいんでしょう。でもそりゃあ辛い留学生活だよ。さっき、あんたが思わず口に出したあの息苦しい重さに、今日も、明日も耐えなくちゃならないんだ。挙句の果てが、僕のように肺病になる。河に入るためには、留学生は何かを支払わねばならないんだ。
..何もかもが食い違ったのだ。怠けたんじゃない。それなのに俺の鶴橋は大きな石にぶつかり折れてしまった。
文化と歴史と人の間で迷い、不器用にも真剣に生きようとする留学生達。その理不尽と矛盾とそこにある葛藤をここまで的確に描いた小説を他に知らない。憧れを抱いて海を渡り、一流になる事を意気込んで必死にもがいて、やがて目の輝きを失っていった挫折組。彼らの目に、「楽しみながら、研究も順調に進み、帰国後の生き方と留学とがきれいに結び合わされる」そうやって要領よく世を渡っていく器用な人間が醜く映る。そして彼らは、自分にはそれができなかったのではない、自分はあえてそうしなかったのだとそんな人々を軽蔑する。しかし一流になり損ねた者達のその叫びは、所詮は負け犬の遠吠え、嫉妬と自己弁護として虚しく響くだけ。
「選ぶということが全てを決定するのではない。人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだものによって苦しめられたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。」
人生における留学という選択肢。その道の末にあるものが希望か絶望かは、選んだ道をどう生きるかで決定される。成功か失敗か、正解か誤ちかを決めるのは他の誰でもなく自分自身。だからその戦いは時として孤独との戦い。だけどそれは、「どんな選択も、自分で選んだからには必ず正解にしてやる」という信念と覚悟さえあればきっといつか勝てる戦い。これまでもそうだったし、これからもきっとそう。少なくとも、そう信じることで、常にしっかり前を向き続けて生きていきたいもの。
著者紹介:
高専在籍時にAFSの53期生としてアメリカのオレゴン州で一年間地元の高校に通う。帰国後アメリカのアーカンソー大学フェイエットビル校に編入し2011年に理学士コンピューターサイエンス、2012年に教養学士心理学を修了。2012年秋よりオックスフォード大学にて、博士号課程で計算神経科学を勉強中。色々と大変ですが、常に色んな事に挑戦しながら精一杯頑張ってます。
詳しくは自己紹介ページよりどうぞ^^





hogsford 2015年9月29日 - 4:13 PM URL
留学の覚悟
@Ohtanao 2016年4月16日 - 12:01 PM URL
海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで https://t.co/2bGEIBGvJN via @hogsford
@mynaoko 2016年4月16日 - 12:21 PM URL
RT @Ohtanao: 海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで https://t.co/2bGEIBGvJN via @hogsford
Tsuda Reiko 2016年6月21日 - 1:13 AM URL
現在オクスフォード(ブルックス)の修士課程で勉強しています。この記事を読んでいて、とても励まされました。ありがとうございます。
Aki 2016年6月21日 - 10:31 AM URL
@Reikoさん
コメントありがとうございます。留学って、傍からは嬉しいことや楽しいこととばかりに見えますが、実際は同じくらいに苦しいことや辛いことも背中合わせですよね。この記事が今頑張っている誰かの励ましになれば、と思って書いたため、嬉しい気持ちです^^
@Himemicyan 2016年6月23日 - 11:14 PM URL
海外なんてまるで興味のなかった高専生が、アメリカの大学を経てオックスフォード大学院生になるまで https://t.co/Azc3TxjICd @hogsfordさんから